竹富町には、春と秋の年2回、清掃週間というのがある。伸びている草は刈り、生け垣を整え、集落をきれいにしようというキャンペーンだ。部落によってはこの期間に、清掃検査、あるいは清潔検査を行っている。役員が家々をまわり、外回りの手入れが行き届いているか監督するのだ。
竹富島では、清掃検査で不合格だった家は島内放送されるので大変不名誉だ、という話を聞いた。干立はそこまで厳しくないが、それでも清潔検査前にはみな心して、庭の手入れにあたる。そして春の清潔検査では、1年間の公民館費などを集めることにもなっていた。
今日は午後3時から、その、春の清潔検査だ。役員10名が公民館に集合し、まずは役割分担。公民館費(5000円)、婦人部会費(2000円)、赤十字への寄付(500円)、竹富町社会福祉協議会(社協)への寄付(500円)、清掃検査の検査料(200円)、チクラヤン水道代(1口250円)……。各家庭からさまざまな名目のお金を集めるのだが、私はチクラヤン水道代の係になった。
チクラヤンというのは集落の沿道を流れる与那田川の向こうにある場所で、水道が引かれるまで干立部落の水源だったところだ。ここから引く水は、いまでは農業用水として使われており、半分ぐらいの家が敷地内に引き込んでいる。
公民館を出発した一行10人は、集落内をぞろぞろと歩き始めた。行く先々で私たちは、どちらかというと、招かれざる客だった。
「こんにちは。清潔検査に参りました」
挨拶しながら敷地に入る。家主が出てくると、ハイエナのように一斉にお金をたかりはじめるからだ。
「○○おじい、官費ちょうだい」
「いくら?」
「おじいは70歳以上だから1500円だけど、去年、おととしと払ってないから3年分4500円ね」
おじいは即座に
「ない」
と答える。官費徴収担当者はすごすご引き下がる。すると別の担当が間髪入れずに、
「おじい、赤十字のお金ちょうだい、500円」
「社協への寄付もね、500円」
「検査料は200円です」
と、セリのように声をかける。おじいはあきれてモノがいえない。
そこに私も加わった。
「チクラヤンの水道代、250円くださ〜い」
限られた生活費で暮らしているおじいは、一瞬考え、重々しくこういった。
「検査料と水道代は払う」
イェイ! 水道代1軒分ゲット!
別の家では、集金に来ましたというと、主のおじいがすっかり観念して、
「勝手に持っていけ!」
とズボンのポケットから小銭をじゃらっと縁側にぶちまけた。私たちは
「チャンス!」
とばかり駆け寄り、それぞれ必要な金額だけ取って、
「赤十字のお金もらったよ」
「水道代もね」
などと声をかける。干立に住む限りどうしても払わなくてはいけないお金なので、表面上みな文句を言わずに出すが、1軒平均6000円もの出費なんて、本当はイヤだろう。どうやら“清潔検査”は、検査の比重より、集金任務の重要性の方が大きいようだった。
一方、集金する私たちの方も、お金の扱いに慣れていないため、ハプニング続きである。男性役員は、Tシャツに作業ズボンといったいつものかっこうで、もちろんカバンなど手にしていない。集金用に、と渡された封筒を手に持ったり、ズボンのポケットに入れて歩くのだが、チャリン、と音がして振り返ると、だれかが封筒ごとお金を落とし、あわてて拾っていたりする。この人たちに集金させて、大丈夫なのだろうか?
ある家を後にしようとしていたとき、お金が落ちているのが見えた。500円玉だ。
「これ、ヨシハルさんのじゃない?」
ちょっとイラ立った声で聞いてみる。つい数分前、ヨシハルさんは2度目に封筒を落としたところを私に目撃され、
「また落として!」
ととがめられたばかりだった。
「あれ? そうかな……」
ちょっと照れているヨシハルさん。しかし、絶対にヨシハルさんの封筒からのものかはわからない。集計が終わるまで、ひとまず私が預かることにする。
公民館に戻ると、それぞれ集金金額の確認作業へ。しばらくすると、だれかがせっぱ詰まった声で
「チナミちゃん!」
というのが聞こえた。社協担当だったゴウくんだ。
集金した家の戸数を数えていた私は、
「16、17……ちょっと待って!…18、19…なに?」
と答える。
「チナミちゃん、さっきの500円、ボクのだ。500円足りない」
足りなかったら自腹で埋めろ、と脅され、悲痛な声のゴウくん。なんだ、ヨシハルさんのじゃなかったんだ。
しかしヨシハルさんも黙ってはいない。
「いや、待てよ、こっちも足らん」
しかも不足金額は500円以上らしい。どうなっているのだ。
ところが私まで、
「あれれ、この500円、私のだったかな……」
という感じに数字が合わず、あせって数え直す。今度はなんとか帳尻が合った。私たちみんな、金融機関には勤まりそうにない。
結局、ゴウくんとヨシハルさんはふたりともお金が足りなかった。
「検査費用は役員の打ち上げに使うものだから(足りなくてもいいから)、拾ったお金は寄付(社協)にまわしなさい」
ということになり、宙に浮いていた500円はゴウくんの元へ。ヨシハルさんが集めた検査費用総額に男性役員がポケットマネーを足して、近くのホテルから生ビールを注文。午後中かけて汗をたっぷりかいた私たちは、おいしく水分を補給した。
つまみには硬めの島ダコが出ていた。
「私は入れ歯だからかめないよ〜」
とナリコさんが笑いながら嘆く。いま60代の彼女は、なんと、30代から総入れ歯だという。
「離島だから歯の治療もできないといわれて、ちょっと虫歯になったり、曲がって生えてる歯も全部抜かれたよ。それで闇の入れ歯屋に作ってもらった」
沖縄が日本に復帰する前、このあたりには闇の入れ歯屋というのが台湾から来たそうだ。
「いまだったら歯茎に合わせて入れ歯を作るけど、当時はできている入れ歯しかないから、口に合わなくてよ」
そのため、ナリコさんの片頬はくぼみ、あごが引っ込んでいたという。しかも、ほんの2年前まで。いまでは想像もできないような、島ちゃび(*1)である。
今日は集落をまわっているうちに、思いがけない発見があった。家によって、見える景色がまったく違うのだ。海岸沿いのおうちの庭からは、海が見渡せた。後ろに田んぼと山がひかえている家もある。フクギ並木の中にたたずむ家もあれば、すぐ前がマングローブという建つ家もあった。干立という集落はさまざまな顔を持つ、自然豊かな村なのだなぁと改めて感じる1日だった。