4月3日(日) 晴れ
定期総会が行われた。役員が1年の活動報告、会計報告をして、公民館員の承認を得る場だ。1年に1度、年度末に行われるが、今年は忙しく4月に入っての開催になった。
いつもこの時期は桜を見に内地に帰っていたのだが、今年ははじめて、定期総会ものぞいてみようと残っていた。ただ、2時間ぐらいで終わると思っていた総会は、けっこう時間がかかるらしい。
「総会って夜ですよね」
しばらく前、タナカさんに聞くと、朝からだという。
「午前中に始まって、夜中までかかったこともあるみたいよ」
えー? なんでそんなに時間がかかるの?
「会計報告で項目と数字を全部読み上げたり……とにかく、役員が決まらないと終わらないのよ」
役員のことはしばらく前から問題になっていた。特に婦人部役員。いくつもの祭をはじめ、伝統的な行事が多い干立の婦人部長は、重要なポストなだけに仕事が多く、荷が重い。最近は60歳前後の時間に余裕のある数人が持ち回りでやっていたが、数年すれば婦人部引退の65歳になる。そろそろ下の世代の人に引き継いでもらいたい考えだ。しかしすぐ下にいる数人の40代、50代にはそれぞれ事情があり、婦人部長を固辞している。
「夜中までかかったときは、総会をお開きにするため、だれかが泣く泣く引き受けたって」
総会の場でそんなことにならないように、カヨコさんは数カ月前から婦人部交流会の場で、次期役員を決めようと話し合ってきた。しかし引き受け手はいなかった。
おととい、ユキちゃんがうちにやってきた。
「役員のことだけど……」
彼女は以前から、役員のなり手がいないことを心配していた。婦人部員のそれぞれの事情もわかっており、彼女自身は春から子供が保育所に入り余裕ができるので、この状況では自分がやるしかないかも、といっていたのだ。
「婦人部長は無理だけど、それ以外ならやろうと思って」
干立の婦人部長はだれでもすぐにできるものではない。行事の料理の采配もふるわなくてはならないので、なん度か役員をやり、ひととおりおぼえてからでないと無理だ。ユキちゃんは一度、一番下っ端の班長を経験しただけだった。
「ユキちゃんがやるなら、私もやってもいいよ」
婦人部の役員は、部長、総務兼会計、班長の3人。チームワークが必要である。気が合う人、価値観が同じ人と組めればいいが、そうでない場合、ただでさえ大変な仕事が、なお大変になる。年齢順でいくとそろそろ私の番でもあるので、話が通じて1歳しか違わないユキちゃんが相棒になるなら、部長がだれであれやってもいいと思っていた。
問題は「来たばかりでいつまでいるかわからない人」と思われている私に、役員をやる資格があるかということだ。その点、年長者がどう考えているか、よくわからなかった。
「じゃあもし、ほかにだれもいなかったら、やってもらっていい?」
ユキちゃんは控えめに、私の気持ちを確認して、帰っていった。
ところが定期総会直前に、ナリコさんが婦人部長を引き受けた。「私はできない」といっていたが、窮状を見かねて一肌脱いだのだ。これで2年続きの役員となる。すると「ナリコねえさんがやるなら私が補佐する」とヒロミさんが総務に。班長はユキちゃんでも私でもよかったが、ユキちゃんは家族に健康不安があるため、私がやることにした。
「1回ぐらいやってみたらいいさ。いい経験になるよ」
とカヨコさんがいった。
「公民館のしくみもよくわかるし」
たしかにそうだろう。「1回ぐらい……」といういい方に、「いつまでもいるわけじゃない人」というニュアンスがあっておかしかったが、経験させてやってもいい、と思ってくれているのはありがたかった。
「ナリコさん、班長さんって、なんの班なの?」
聞いてみる。昔、たくさんの人が住んでいたころ、婦人部は地区別に3班に分かれていたらし。班同士の連絡を主に行うのが、班長さんの仕事だったとか。
「いまは1班しかないからね」
とヒロミさん。班長さんは下役なので、部長や総務を支えるべく下働きをするのが仕事だ。
総会の最後に新役員の紹介があり、私も自己紹介をした。9時に始まり、終わったのは夕方の5時45分だった。
さあ、役員になった。しゃきっとしなくちゃ。
婦人部の下っ端役員ということは、宴会の席ではだれよりもよく動かなくてはならない。総会の後のブガリ直し(飲み会)では、みんなが声をかけてきた。
「水がほしいさ」
「ジュースないの?」
「氷ちょうだい」
そのすべてに「はい!」と笑顔で対応する。居酒屋の店員になった気分だ。注文を受けると「喜んで!」と店員みんなで復唱するチェーン店があったような……。
「オイ、さっき聞かれたぞ。あの娘はなん番目の嫁か、って」
ケンさんが話しかけてきた。彼は干立のビッグファミリー、ヤマシタ家の家長である。成人した息子が3人いる。私が自己紹介で「ヤマシタです」といったものだから、そばにいた人から、どの息子の嫁か、と聞かれたらしい。
「しっかりいっておかんとダメだぞ」
と上機嫌なケンさん。ははは、そうですね。
調理場では青年たちが寄ってたかって魚をさばいている。サバの一種でアシキンと呼ばれる魚らしい。骨が多いので刺身を千切りのように細く切るのが大変だ。しかし味は抜群。脂がのって、こりこりしていておいしい。
「青魚はあまり好きじゃないけど、これは大好き」
とトモちゃんがいっているが、ほんとうにうまい。だれがとってきてくれたか知らないけど、次回もよろしく!
4月4日(月) 晴れ
婦人部の業務引き継ぎに行くと、出席簿などのほかに、いきなり貯金通帳を渡された。干立ではチクラヤンというところから農業水道を引いている。上水道を引くまで、メゾン三吉ではこの水が生活用水だったらしい。そのチクラヤンの水道料徴収は婦人部班長の仕事なのだ。集めたお金は郵便貯金へ。だから貯金通帳がある。お金も管理するのか、ととまどう。責任重大だ。
夕方、洗濯物を取り込んでいたら、ヒデコさんが通りがかった。
「頑張りなさいよ。あんなしていろいろ覚えていくんだから。わからないことがあったら教えてやるからよ」
役員になったことを応援してくれている。ありがたく、うれしい。役員をさせてもらうということは、地元の人から村の一員として認められることでもあった。
西表暮らしが3年目に入ったこの春、イリオモテヤマオンナの第2章が始まろうとしていた。