4月6日(水) 「田んぼでゆんたく」 晴れ

晴れてはいるのだが、気温が低かったり風が強かったりでずっと寒かった。でも今日はひさびさに暖か。沖縄の言葉で“うりずん”というさわやかな初夏の陽気だ。

島の暮らしは車の移動がほとんどで、運動不足解消になりがちだ。そのうえ座仕事なので、なおさら体が固まる。最近は反省し、祖納あたりまでなら歩くことにしている。というより毎日、祖納まで歩くことが目標だ。

今日は祖納港の向こうにある農園まで、歩いてたまごを買いに行くことにする。なんキロあるかわからないが、けっこうな距離だ。往復1時間半はかかるだろう。

 祖納の郵便局で用事を済まし外に出ると、田んぼの前にのーじさんがいた。
「のーじさん!」
呼びながら駆け寄る。
「ほら、見て、できたの!」
取っ手をつけたアンツクを披露してみせる。
「ほう、上等だね。柔らかくできている。ダメかと思ったけど、縄も元に戻ってるね」

なった縄をクールで染めて乾かすと、上手になえていない最初の部分を中心に、縄がぱっかり2つに分かれてしまった。乾かすとき引っ張らなかったことが原因と思われた。釘にかけるとき伸ばせば大丈夫、と慰めてもらったが、のーじさんは心の中で、ダメかもしれないと感じていたらしい。

のーじさんの邪魔になってはいけないと、歩き出そうかと思ったが、彼はのんびりかまえている。
「こっちの稲は緑だけど、あっちの稲は黒っぽいでしょ」
田圃をながめながら指さして見せる。あ、ほんとだ、違う。
「黒いのは黒紫米、緑のは白米」
黒紫米の稲は、葉も黒紫がかっている!
「天気が変わりやすいから、田んぼに水を入れたり、雨が降ったら抜いたり。あちこちなんカ所も田んぼがあるから、見回りが大変」
のーじさんは穏やかにほほえんでいる。

意外だったのは、彼が発した次のひとことだ。
「いま、仕事はなにをしているの?」
しめ縄やワラ草履、アンツクなどの手わざ講習会で、のーじさんにはいろいろなジンブンを授けてもらってきた。でも、個人的に話すのは、今日がはじめて。ライターだというのは理解してもらっているようだが、私の仕事に関心があるようには見えなかった。だから、もしかしたら、「いまどこに行く途中?(どんな仕事の最中?)」と聞かれたのかと思ったぐらいだ。

「ウエブで主に記事を書いてます。地元の人にも『あの子はなにやってるんだろうねぇ』と思われているようなので、記事2つ3つプリントして配ろうと思って」
ちょうど婦人部の役員にもなったことだし、とつけ加えた。
「住んで3年目になるのに、いつまでも宇宙人みたいに思われてたら困りますからね」
「えっ、もうあんなになる!?」
 こちらの人は、「それ」も「これ」も全部「あれ」で済ます。つまり「そんなになる!?」という驚きは「あんなになる!?」と表現される。

「婦人部の役員かぁ。踊りもやって、公民館のつき合いもちゃんとやって、えらいね」
よその部落の人には披露したことがないのだが、私が婦人部でヘタな踊りをやることを、隣村ののーじさんはなぜか知っていた。彼自身は、今年、地元の公民館長をやっている。

「2年もいるのに1回も来たことないでしょ。たまにはのーじのおうちにも寄って」
ちょっとうれしかった。のーじさんをよく知る人からは、「彼はだれにでもいい顔をするわけではない」と聞いていたからだ。現に、以前、取材をお願いしたときも、ひとつは受けてもらえたが、もうひとつは
「いつできるかねぇ」
と遠回しに断られていた。

 役員になって、周りの人が私を見る目が変わってきたように感じる。役員はやはり、地元に根づいていることの証なのだ。

夕方、三線を練習していると、ノボルおじいがやってきた。
「ヤマシタさん! あんた、い〜ことしたなぁ」
つくづく感心したような声を出している。はて、なにをしたか? 婦人の役員になったことぐらいしか思いつかない。それは「い〜こと」というほどのことなのか?

「ナネタケシさんのカジマヤーよ。ヒトシが喜んどったよ。僕も記事を見せてもらったけど、上等に書いてあるね」
 カジマヤーを取材させてもらい、記事をウエブに載せた。じいじいの長男・ヒトシおじさんはパソコンをお持ちでないと思い、リンクを張ってある写真もすべて印刷し、読んでもらおうと届けておいた。それをノボルおじいも見てくれたらしい。

「干立のヤマシタさんって知っているか、っていうから、『毎日勉強してるよ。新聞も取っているよ』といったよ」
 今度は三好さんに話している。私はなにも勉強していないが、パソコンに向かっていることをノボルおじいは「勉強している」と表現するのだ。

これまで地元の人には、自分の書いた西表に関する記事をあまり読まれたくなかった。よく受け取ってもらえない気がしたからだ。しかしそれが、なにやっているかわからない人、と思われる原因でもあった。ところが、勇気をふり絞って見てもらうと、そうでもないことがわかった。喜んでくれる人がいる。ほめてくれる人もいる。誠実に書いたものは、評価してくれるのだ。それがわかったのは、なによりうれしいことだった。


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