今日はナネ家のカジマヤー祝(よい)。カジマヤーとは沖縄の言葉で風車のことだがカジマヤー祝といえば、数えで97歳のおじい、おばあが童心に返って風車を手に、村中をパレードするお祝いを指す。西表の言葉ではマインダナー祝ともいうらしい。
ナネ家は地元の有力ファミリーなので、今回のお祝いもかなり盛大に行われることが予想された。そこでお願いして、祝いの全行程を取材させていただくことになった。
長寿を誇る沖縄県のこと、地元八重山毎日新聞には1〜2カ月に1度ぐらい、どこどこでカジマヤーのパレードが行われた、という記事が載る。記事がカバーするのは八重山地方だが、それでもこの頻度でカジマヤーがあるというのはすごいことだ。
今日の主役は、祖納のタケシじいじい。明治42年3月24日生まれのじいじいは7男2女に恵まれ、孫、ひ孫、やしゃ孫は合わせて41人! 今日のお祝いには、62名のファミリーが集まっていた。
午前9時半、じいじいの家にうかがうと、主役は着付けの最中である。袴姿のじいじいは、金糸で織ったちゃんちゃんこと同じく金糸の帽子を身につけていた。まさしくカジマヤー祝の衣装だ。着付けを終えると、じいじいは両脇を支えられながらゆっくりと座敷に出てきた。
「ああ、この人がタケシさんか」
実はじいじいとは面識がなかった。はじめて会うタケシさんは穏やかな表情で、動きは緩慢だが元気そうだ。
お祝いの儀式は八重山地方の伝統的な形式にのっとり進められた。床の間はお米やお酒、塩などで正式に飾りつけられている。その前で家族全員手を合わせ、まずはタケシさんの健康願い。7男2女の夫婦は妻が全員留め袖、夫はモーニングに白ネクタイと完全な正装。孫やひ孫はこの日のためにそろえたオレンジ色のTシャツを着ている。カジマヤーにかける一族の意気込みが伝わってくる。
健康願いのあとは、じいじいからご長寿をあやかる杯をいただく。長男家、次男家……と家族ごとに床の間の前に進み、あやかりの杯を干し、清めのマース(塩)を受け、喜びの結び昆布を口にする。長男ヒトシさんは、うっすらと涙を浮かべながら正座で三線を弾いている。六男・ミサオさんは、杯を飲み干すと感極まって
「バンザーイ!」
と喜びを全身で表した。イスに座ったじいじいは、子や孫からのお祝いの言葉を次から次へと受けながら、部屋で起こるすべてのことを、ほほえみを讃え静かに見守るのだった。
献杯のあとは、いよいよパレードだ。先導するパトカーのすぐ後ろは、じいじいの名前の書かれた横断幕、続いて小中学生による鼓笛隊、その後ろが主役の乗るオープンカー。カラフルなモールや風船、風車、寿と書かれた赤い布などでにぎやかに飾りつけてある。後続の車からは、
「祖納部落のみなさん、ありがとうございます。にこにこじいじいがカジマヤーを迎えました……」
と、選挙カーのようなしゃべりが聞こえてきた。にこにこじいじいというのは、タケシさんがいつもにこにこしていることからついたあだ名だ。
家を出た車がスーパーの前にさしかかると、待ちかまえていたおじい、おばあが、両手を頭の上に掲げ、福を招く喜びのガーリをしながら寄ってきた。車をわっと取り囲み、おめでとうの気持ちを伝えるため、タケシさんの肩にポンポンと触れようとする。なんだか芸能人みたいだ。中には感極まって涙ぐむ人もいて、生き仏のようにも見える。じいじいもいっそうにニコニコしてうれしそうだ。
大祝宴があったのは午後。地元公民館にお客さんを招待し、一族の子供たち(といってももう孫のいる人も多い)が舞踊や寸劇を披露したり、じぃじぃの生い立ちをスライドで見せたりした。孫・ひ孫たちがひとり1輪づつお花のプレゼントを手渡したり、50人からなるおそろいのTシャツ軍団でエネルギッシュな「よさこいソーラン節」を踊ったりと、多彩な出し物をすべて一族だけ提供しているのが驚きだ。
この日、とりわけすばらしかったのは、タケシさんの三線だ。
「このへんで、じいじいにもなにか弾いてもらおうと思います」
司会のミサオさんがいった。三線が用意される。
「なに弾きますか?」
マイクを通してじいじいに聞く。タケシさんは小さく口を動かした。
「デンサー節だそうです」
みな期待を膨らませ、第一声を待った。静けさの中、三線の前奏が始まった。
「ういばるの……」
歌はそう聞こえるはずだった。しかし耳の届いたのは、歌にならない歌、絞り出すような、うめき声だった。
ほんの一瞬、会場が息をのんだ。しかし次の瞬間、手拍子が始まった。温かい手拍子だった。ほんの数年前まで家の前をそうじするほど元気だったじいじいは、年と共に体を動かすことが減り、耳も遠くなっていた。支えられながらも自分の足で歩き、ひな壇に座っているじいじいだが、家族以外は彼がどの程度老いているのかわからない。今日もまだ、だれもタケシじいじいの声を聞いていなかった。
じいじいは気持ちよく、一生懸命歌っていた。彼の中では往年の自分の歌声が響いているのだろう。子供のような調子外れの歌だったが、三線は最後までしっかりしていた。
老いるとはこういうことなのか。ただひたすらそう思った。老いるとはこういうことなのか、と。
97歳で三線が弾けて、気持ちよく歌えるのは素晴らしいことだ。ゆるやかに老いを受け入れてきた家族は、じいじいの歌を知っていたと思う。それでも、こんなに歌えるのだ、三線も弾けるのだ、すばらしいんだ、ということをみんなに知らせたかったのだろう。
デンサー節を終えたじいじいは、満場の拍手に気をよくしてか、六調を弾きだした。宴会の最後、会場にモーヤ(カチャーシー)を踊らせ盛り上げる早弾きの曲だ。今度は歌わなかった。手慣れた感じで調子よく弾く姿は、きりっとしていてかっこよかった。三つ子の魂百までとはよくいったもんだ。
お祝いはこれで終わりではなかった。宴会の後、夜には花火があった。一族からじぃじぃへのお礼に、花火師をよんで祖納漁港から100発の花火を打ち上げるのだ。個人で花火大会なんて聞いたことがない。大勢の人が見守るなか、大輪の花火が威勢よく夜空を彩る。
人はパワーである。家族が多いことは、その一族がパワフルだということだ。家族が多いことを特にいいと思ったことはないのだが、今日は子孫の多いことの素晴らしさを知った。1日お祝いに参加して、長生きすることのすごみを味わった。にこにこじぃじぃ、ありがとう。そしていつまでもお元気で!