9月8日(木) 「踊りを習うということ」 晴れ

「チナミさん、もういいよ、そのことは」
割り切れなさも残るけれど、忘れることにしたからそっとしておいて。最初、そんな雰囲気でキョウコちゃんは話したが、言葉を交わすうちにポツリポツリと事情を語ってくれた。

『かたみ節』はソケイのばあちゃんのカジマヤーのときに披露された踊りだ。すばらしい踊りに感動したキョウコちゃんたちは、あとでお願いし、特別に踊ってもらったのを、許可を得てビデオに撮った。そのとき、
「踊りをおぼえたら、公民館で披露してもいいですか?」
と確認している。

おそらく、キョウコちゃんたちの礼儀正しさ、感じのよさに、好感を持ったのだろう。その人は
「いいよぉ。手を教えてあげるから、石垣のおうちに習いにおいで」
といってくれたという。“手”というのは踊りの振りつけのことだ。

なかなか石垣まで習いに行けないふたりは、ビデオを見て踊りをおぼえた。ビデオは正面からしか撮っていないので、踊りを起こすのは大変だ。1番の踊りを確認するのに丸1日かかった日もあるという。

そのうち8月になる。これまで青年たちには芸がなかったが、今年はアンガマをきっっかけに踊りをおぼえていこう、ということになった。相談を受けたキョウコちゃん、トモミちゃんは、『かたみ節』『安里屋節』『与那国のマヤグワァ』を勧め、踊りを教えた。というより、ビデオに撮らせて、といわれ、前から踊った姿と後ろから踊った姿をビデオに撮られた。そして、どの曲のチームとも、ほぼ、それっきりだった。

「踊りって、ビデオを見てマネして、それで習ったってことにならないと思う。
ビデオでわかることもあるけど、直接人から人に教わらなきゃ伝わらないこともあるじゃない。私やトモちゃんだってまだまだだけど、振りの順番を間違わずに踊っていた青年たちだって、それで完璧なわけではないでしょ。まだまだなのよ。それなのに、そういう自覚があまりないよね」

 教えて、とお願いし、練習につき合わせるのは悪いと思い、撮らせてもらったビデオやDVDをひたすらマネしていた私たち。本当は、
「踊りを見てもらいたいんだけど」
 とお願いし、教えてもらうべきだったのだ。心配して様子を見に来てくれたとき、アドバイスを素直に聞かなかった人もいるようだが、それは年が近い人が師匠であることへの甘えだろう。ナリコさんなどの年長者から教えてもらうときにはありえない反応だ。

人の踊りを見るときに、よく、「これは誰の手?」という話になる。あるいは「これは○○おばあの踊りだよ」といったりもする。「誰の手?」というのは「誰から習った振りか?」ということだし、「○○おばあの踊り」というのはその人の十八番である、という以上に、「○○おばあが大事にしている踊り」という意味だったのだ。

 沖縄で踊りを習うということは、その人に弟子入りして、大事にしているものを受け継がせてもらうということだ。私たち内地から来ている人間は、そういう認識がほとんどない。だから、踊りを教えてもらうことも軽く考えているし、習ってしまえばどこでどう披露するのも自分たちの勝手、と思っているフシがある。もちろん私もそのひとりだった。

キョウコちゃんの話を聞きながら、これまでまったく意識してこなかったことが鮮明になっていくのを感じた。白い壁だと思っていたところが実はカーテンで、布が次々に開き、いろいろなことが目に飛び込んでくる。そんな気分だ。

そういえばナリコさんやもっと上のおばあは、誰にでもどんな曲でも教えるというわけではないことを思い出した。私たちは地元に伝わる踊りを教えてもらうことの重みを、もっと感じるべきだろう。そして、踊りを習うときには、遠慮せずにつきあってもらっていいのだ。ナリコさんやほかの人たちが根気よく練習につきあってくれるように。

いままであたり前に提供されてきたことの持つ意味が、ようやくわかってきた気がする。キョウコちゃんたちのわじわじ解消にはお役に立てなかったが、私には学ぶことの多い話だった。


(*1)わじわじ: 「わじわじする」で「イライラする」「もやもやする」といった意味。割り切れないやり場のない思いを抱いたときに使う。


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