8月12日(金) 「30年前の西表」 晴れときどき雨

 昔の話を聞かせてくれる人に、たまたま会った。沖縄が日本に復帰(1972年)した直後の西表の様子だ。ほんの30数年前のことなのに、いつの時代の話だろうと感じるぐらい、別世界なのだ。

その人・Pさんはは若いころからダイビングやサーフィンを楽しみ、きれいな海を求め、しばしば与論島に出かけていた。しかし沖縄が日本に復帰すると、さらに南下し八重山まで足を伸ばすようになる。

当時、石垣からの船は暗くて狭く、船室には窓から這って入らなくてはならなかった。Pさんは船室よりも甲板で過ごすことを好み、風を感じながら4時間半、ついに白浜港に着いた。

港には大きなトラックが来ているだけ。人も荷物もすべて、石垣から運ばれてきたものは全部、一緒にトラックの荷台に乗り、土の道を集落まで運ばれていく。

テントを持ち込んだPさんは、場所を変えながら、あちらこちらでキャンプをしながら島に滞在した(*1)。与論もすばらしい島だが、西表には、話に聞く30年ほど前の与論が残っている。海に入ると、浜からすぐのところにひとかかえもあるシャコガイがゴロゴロいた。ヨロンでは昔話でしかないような大きなシャコガイだ。魚は釣り糸をたらした瞬間、釣れる。大きなヤシガニも道で毎晩見かけるぐらい、珍しい生き物ではなかった。Pさんは島の自然に、すっかり魅了されてしまった。

豊かな自然の一方で、貧しいものはいろいろあった。電話は申し込まないとつないでもらえない。しかもずいぶん待たされる。夜8時に頼んだ通話が、翌日の午前1時にやっとつながるという具合。テレビはNHKのみ。しかも、ニュースでさえ半日遅れ。沖縄本島で流した番組のVTRを石垣まで運び、それを放映していたからだ。そのうえ午後1時から5時ごろまで、番組はなし。テレビのスイッチを入れると、静止画像が映っていた。また島には車が少なく、半日以上、道路に車が通らないことも珍しくなかった。

その後、西表島に移住してきたPさんは、あるときふと、気づく。
「そういえば最近、ダイビングをしなくなったな」
 ダイビングどころか、素潜りもサーフィンもしていない。海で遊ぶことがほとんどなくなっていた。
 
“なぜだろう?”

 思いあたることがあった。以前はよく海で見かけていた生き物が、いまではほとんど目につかない。つまらなくなったのだ。

「西表に来る人はいまでも“海がきれい”とか、“たくさん生き物がいる”というけれど、30年前の生き物の数を100としたら、いま目にするのは1にも満たない気がする。それだけ、生物の数は激減してるんです。

 島に住む人は増えました。僕が家を建てた当時、周りに民家は1軒もなかったのに、ここはいまでは人口が多い集落のひとつです。車も増えましたね。昨年、大型ホテルができてからはレンタカーも急増しています。舗装された道を飛ばしています。いつのまにか消えた生き物も多いけれど、車にひかれて死ぬ生き物がどれだけいることか。毎朝、道路にたくさんの死骸がありますよ。

自分も移住してきた人間だから、人や車が自然に増えることには文句が言えないと思う。でも、大型ホテルなどができて、急激に増えることには不安があるんですよ。このまま一気に島が変わってしまったら、海や山の生き物も、がらっと様子を変えるんじゃないか、って。それがほんとうに気がかりで……」

開発か自然保護か、という議論には正解がない。しかし、西表島のこういった問題を考えるとき、昔の西表の様子を知っているのといないのとでは、なにかが大きく違ってくる気が、とってもするのだが……。


(*1)現在、西表島ではキャンプ場以外でのキャンプは禁じられているが、当時は規制がなかった。


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