8月20日(土) 「避難小屋」 晴れ」 晴れ

昨日で旧盆は終わり、今日はツヅミの日。ツヅミは「トドメ」という意味で、最後にもう一度アンガマを公民館で行い、旧盆の行事を終えることになっている。

“ツヅミ”は節祭のときなどでも使う言葉だが、“ツヅミ”の日には“清め”がセットだ。朝、どこかの場所の清掃をみんなで行い、午後から村清めの旗頭を揚げるのだ。

今朝は午前8時半、公民館集合。ガン屋と避難小屋の清掃のため、二手に分かれた。ガンというのはお葬式のときに棺を火葬場まで運ぶ御輿である。そのガンをしまっておくための小屋がガン屋。干立の浜のはずれにあるのだが、モノがモノだけに近づきにくく、いい機会なのでこちらの掃除にまわりたいなぁと思っていたところ、
「ガン屋は数人でいい。近いからおばあたちに行かせ」
とジーボさん。そこで10人ちょっとの人たちが避難小屋にまわることになった。

小屋の存在は聞いていたが、行ったことはなかった。山の上の御嶽の、さらに上にあるという。避難小屋というだけあって、災害時に公民館員が避難するための場所である。以前、総会で、避難小屋に水や非常食を置くべきではないか、という意見が出たが、
「消防車のガソリンでさえ抜かれてしまうのだから、避難小屋に食料を置いてもすぐにだれかに盗られてしまう。意味がない」
 と反対された。いったいどんな場所なのだろう。

田んぼを抜けて、御嶽の下まで車で行く。石段を登り始めるが、一段ずつが高いのでかなりキツイ。御嶽を通り過ぎ、さらに上に行くと、
「荒れてるなぁ」
 という声が聞こえた。先頭を行っていたシオカワさんだ。

 避難小屋は山の中のちょっと開けた所にあった。プレハブを2つつなげたものだ。入り口を入り、空気を入れ替えようと窓に向かうが、足元が危ない。床が抜けているか、踏み抜いていないだけで腐っているか、どちらかなのだ。慎重に、鉄骨の基礎の部分を見定めて、ゆっくり歩く。

 小屋の中には、汚いブルーシートが少しあるだけで、ほとんどなにもなかった。70数名いる公民館員を収容できるほどの広さではなさそうなのが気がかりだ。それにしても、こんな山の上までよく小屋の材料を運んだものだ。わざわざ買ったようにも見えないので、だれかが手放したものをもらって移築したのだろう。干立部落は海抜50cmの場所にある。大津波が来ても、ここに避難できれば助かるのではないか。そんな時間の余裕があればの話だが。

清掃する場所は、主に避難小屋の周辺だ。高く伸びた雑草を、男性は草刈り機でひたすら倒し、女性は熊手でひたすら集める。台風で倒れたままになっている木にはチェーンソーを入れ、細かくしてから撤去した。

小一時間もすると、見違えるぐらいきれいになった。気持ちがいい。でも、またすぐに草ぼうぼうになるんだろうなぁ。

村清めは午後4時半からだ。青年は旗頭を出すため3時に集合だったが、連日の疲れからさぼってしまった。まあどうせ力仕事だから、女子はほとんどだれもいないだろう。

旗頭がうちの前に来たところでガーリーをしてお出迎え。銅鑼が庭を1周し清め終わったところで、泡盛の入ったお礼の3合瓶を渡す。そこからは旗頭についてまわることにする。

カンコーおじいのうちに寄ると、おじいがニコニコしながら声をかけてきた。
「あんた、この間、うちで踊っとっただろう」
 アンガマのときのことをいっているのだ。
「メガネかけてな。わかってたよ」
 私は浴衣を着て、手ぬぐいで頬かむりをして、白くて丸い縁のゴーグルをかけていた。バレないんじゃないかと思っていたが、口元でわかってしまうのか。

おじいはさらに、へんなことを聞いてくる。
「猿のお面はどうした?」
――猿のお面?
「そう。昔は村清めのときにサルのお面をつけてまわったんだけど。な?」
といってトヨおばあに相づちを求める。うなずくおばあ。

――猿のお面なんてどこにあるのかな。公民館にありますか?
「あるよ。ツヅミのときにつけてもいいんだよ」
――じゃあ、探してみようかな。

 あとでヒロミさんに聞いてみる。
「前は節祭でオホホがお金をばらまくと、猿のお面をつけた人がそれを盗って木にのぼったの。でも、祭が重要文化財に指定されたとき、昔ながらのやり方でやるように、って指導されて、猿は昔からやっていたものではないから出番がなくなったのよ。確か、お盆のツヅミのときにも使ってたけど、どこにしまってあるかね」
 今度、探してみようかな。


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