ツヅミが始まったのは、午後8時。公民館の庭には花ゴザが敷かれている。ここに役員と地方、ウシュマイ、アッパー、サンピキ、太鼓が座り、ファーマーたちはゴザのまわりを輪になって踊るのだ。
最初は『ソール念仏節』である。サンピキと太鼓は、招かれた家の仏間の広さによって、なん組で披露するかが決まるのだが、今日はなん人でも踊れる広さだ。衣装が足りるだけ、6人がサンピキのかっこうで準備しウキウキ出ていくと、
「え、こんなにいるのか! ひとりかふたりでいいのに」
とシオカワさん。そしてこれを皮切りに、私たちのアンガマのデタラメが次々と発覚していった。
まずサンピキについて。シオカワさんが指摘したように、ひとりもしくはふたりでいいのに多すぎる。『ソール念仏節』のとき足をもっと広げるべきだがちょっとしか開いていない。手の動作が微妙に違う。『ソール念仏節』に専念しなくてはいけないのにほかの曲にも参加した。ウシュマイ、アッパーの『御前風』はおもしろおかしく踊ることが期待されているのに、大まじめに踊った。クバ扇を振りながら巻き踊りをするファーマーの扇の振り方がデタラメ。旧盆の最中、公民館でリハーサルをしてから各家に行き、終わって公民館に戻ったら毎日ツヅミをしなくてはいけないのにやらなかった……などなど。
私はてっきり、伝統的なやり方を踏襲してアンガマを行っていると思っていた。でも違うというのだ。なぜこういうことになったのだろうか?
干立には長らく青年部がなかった。「部」を作れるほど青年がいなかったためだ。しかし7〜8年前、今は大阪で暮らすマーちゃんを中心に青年部が再建され、アンガマも復活した。少しずつ青年の人数も増え、いまでは20人あまりいる。アンガマもちょっとずつ、それらしくなってきた。
人数が少ないと、やっただけで「えらい」といわれるが、メンバーが増えるとアラも目立つ。昔の華やかなりしころの青年部を思い出し、
「こんなものではなかった」
と注意したくもなるだろう。
特に今年は、厳しく教えてくれる人がいなかった、という面もある。ナイチャーがほとんどである私たちから教えを乞えばよかったのだが、なん年かやってきたことだけに、
「こんな感じだったはず」
と、わかっている気になって勝手に解決したのかもしれない。みんな一生懸命だったし、どこの家でも歓迎されただけに、最後の最後でほめられなかったことは、ちょっとがっかりだった。
ところが、伝統に忠実なシオカワさんが“困ったものだ”という顔をしている横で、ノーテンキなところのあるジーボさんは上機嫌だ。
「なに、時代も変わっているんだから、アンガマも進化しないと」
今年は公民館長がこういう人で、ほんとうに救われる。
ひととおり踊りをすませ、最後に『ソール念仏節』の13番を終えると、ウシュマイ、アッパーを先頭にすぐ前の浜に向かう。海で手と足を清め、お面や頬かむりしていた手ぬぐいなどをはずし、あの世の人からこの世の人に戻るのだ。そしてご先祖様たちにも、あの世に戻っていただく。
月に照らされた海で、静かに響く波音を聞きながら手足を水にひたしていると、夏も終わりだなぁ、と切なさがこみ上げてくる。あとどれくらい海で泳げるのだろうか? すぐに節祭が来て冬になることを考えると、寂しい。
しかし家に仏壇もなく、先祖を意識することなく生きてきた自分にとって、アンガマはなかなかいい行事だ。自分もご先祖様からの命のつながりに、ちょっと思いを巡らしたりするのであった。