7月29日(金) 「アサヨイ」 晴れ

豊年祭2日目はアサヨイという。
アサヨイのメインイベントは夜の大綱引き。1カ月前から集めておいたワラで、今日は早朝から青年たちが総出で綱をなう。婦人部は午後から“出勤”すればよいのだが、私は今年、青年部にも入れてもらったので、7時には公民館へ。

綱作りの現場は公民館前の道である。かけ声をかけながら3人が同時にワラを締め上げ、1本の綱に仕上げていく。力作業なので作るのは主に青年男子だ。女子はあらかじめ少しずつ束ねておいたワラを、編みやすいよう形作って青年に手渡す。この綱をなん本か使ってさらに太い綱にし、同じ太さのものをさらにもう1本作る。綱引きの綱は、雌綱と雄綱2本を合体させ1本にして引くからだ。

綱を作るためにはもうひとつ別の作業があった。大綱に仕上げるときに使う縄をなわなくてはいけないのだ。縄は縄ない機で作る。これがもう、見るからに絶滅したような農機具で、骨董品のような趣がある。二股にわかれている入り口から、ふたりが同時にワラを入れると、途中で縄になって出てくる仕組みだ。

この縄ない機で、一度縄を作ってみたいと思っていた。休憩しているコバヤシさんという男性に声をかける。
「やらしてもらってもいい?」
コバヤシさんはあっさり譲ってくれたので、ヨシハルさんと私で機械に向かう。

足踏みミシンを使うように、ヨシハルさんが足で機械を動かした。ヨシハルさんの手元を見ながら、パッパッパッパと急いでワラを機械に入れていく。見ていると簡単そうだったが、やってみると意外と難しい。まずワラは途切れないように、かつ一定の分量をリズムよく入れなくてはいけない。だいたい1秒に1回、3〜4本をヨシハルさんと同時に追加するのだ。

手元のワラがなくなったら、ワラを投入する合間に地面からワラ束を拾わなくてはならず、なかなか忙しい。毎秒3〜4本というのが案外できなくて、手がもつれてワラがうまく抜き取れなかったり、取りすぎてしまったり。あわわわ、なんてやっているうちにヨシハルさんとタイミングがずれて、縄が細くなる。マズイ、これでは途中で切れてしまう。

辛抱強く無口なヨシハルさんは、たまに「ワラが多すぎるよ」と注意するぐらいで、だまってつきあってくれる。しかし、私が関わった部分の縄のできばえに自信がなく、縄の質を向上させるため、自ら引退(?)。コバヤシさんに代わってもらったときには、目や肩が痛くなっていた。そうとう集中していたらしい。

お昼あとも大綱作りは続き、やっと終わったのが午後4時。今年、干立はワラが少なかったので2本の綱で1本の大綱に仕上げたが、お隣の祖納では、午前6時から作業をはじめ、5本で1本にしたとか。つまり干立の5倍、10本もの綱をなったらしい。人数が違うとはいえ、すごいことだ。

大綱引きが始まるのは、暗くなってから。毎年だいたい8時半から9時ごろだ。神司を先頭に、氏子たちの行列が歌いながら綱引きをする十字路に入ってくる。氏子といっても、干立に住む、おじいやおばあたちを中心とした顔見知りばかりだ。迎えるのは青年を中心としたメンバー。みんなお酒もほどよく入り、クライマックスに向けて熱気むんむんだ。

ふすまのような大きさの板の上に乗った公民館長を、男たちが担ぎ上げる。早く降りないと下の人たちが大変なのに、終わりそうで終わらない挨拶をしていておかしい。行事部長のタケくんは、コンクリートでできた掲示板の上に乗り、やはり高いところからマイクで司会をしている。上に登らないと人でもみくちゃにされるのでちょうどいいぐらいだ。

いよいよ綱引きになった。行うのは3本勝負。老若男女が東西に分かれて綱につき、「ユイサー、ユイサー」とかけ声をかけながら力一杯綱を引く。東が勝てば豊年満作、西が勝てば生り繁盛(まりはんじょう)。どちらが勝っても、今年も村には豊かな恵みや繁栄がもたらされるのだ。

「さあ、みんな綱について」
 声を掛けあって綱の両側に散らばる。自分の家のある方角の綱につくのだが、
「こっちはいつも不利よね」
 とタナカさん。
「だって人数が少ないもの」
 確かに、綱の置かれている場所から東側は、西側より圧倒的に家の数が少ない。となると綱を引く人の数も少ない。となると……勝てない。

 しかしこの綱引きは、真剣に力を出すけれど勝負にはこだわらない儀式みたいなものだ。一度目は予想通り西が勝ち、二度目は東に勝たせ、三度目はまた本気を出して西が勝負を奪った。東に家がもっと増えたらどうなるかわからないが、しばらくは西が勝ち続けることになるのだろう。

 豊年祭をはじめて経験した一昨年は、わけがわからないながら、祭のパワーに圧倒されて興奮した。3年目の今年は、御嶽参りをしたり綱作りに参加したりとさらに新しい経験もできて、豊年祭のよさをしみじみ味わった気がする。


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