【蔵出しエッセイ3】 「溝」

西表に住みはじめて約1年半。その間に少しずつわかってきたことがある。八重山で生まれ育った人と移住者の大きな考え方の違いだ。それは島の行方を決める重要な場面でいつも明らかにされ、問題の解決を難しくする。

最初に気づいたのは、島の自然に対する考え方だ。

たとえば西表島ではこんなことがある。2004年7月、西部トドゥマリ浜(通称「月が浜」)に大型リゾートホテルがオープンした。このホテルをめぐっては地元住民から反対運動が起こり、現在も裁判で争われている。ホテルを誘致した住民と反対する住民。決定的な違いは、それぞれが持つ“自然観”にあった。

ホテルの開発計画がある場所には、カンムリワシ、セマルハコガメなど7種類の天然記念物が棲んでいる。またトドゥマリ浜に注ぐ浦内川流域には、コンジキハゼをはじめ15種類の絶滅危惧種の魚が生息する。トドゥマリ浜自体も粒子の細かい砂で大変貴重だという。

そういう場所に大型ホテルを建てることをどう思うか。

 都会で生まれ育ち、西表の自然のすばらしさに魅了され移住してきた人たちは、この自然を守り、子孫に伝えていきたいと思っている。木1本切ることにさえためらいがある。だからトドゥマリ浜のような貴重な自然が残る場所には、リゾートホテルを建てないほうがいいのではないかと考える。

一方、八重山に生まれ育った年輩者の多くは、こういうのだ。
「なに、島には自然はいくらでもある。あそこの森を切り開いたって、カンムリワシやセマルハコガメはほかの場所にいくらでもいるさ。ここで育った僕がいうんだから間違いない」

西表島はかつて、ジャングルだった。島人の先祖は“豊かな暮らし”を求め開墾を重ねたが、厳しい自然環境の中、マラリアに負けそうになることもしばしばだった。そう遠い昔のことではない。いまのおじい・おばあ、そのお父さん・お母さんが若いころの話だ。どれだけ切り開いても、油断するとすぐ元に戻っていく姿を見て、尽きることのない自然とその圧倒的な力を感じていたのではないか。だからいまでもおじい・おばあは、「自然はいくらでもある」というのだろう。

またこちらで育った人たちは、こうもいう。
「西表の自然はそんなにヤワじゃない。昔は炭坑もあったし、山の中に掘っ建て小屋を作って多くの人が住んだ。あれだけ手を入れても自然が壊れることはなかったんだから、海岸にホテルを建てるぐらいどうということはない」

島の自然が力強いものであることは歴史が証明している、というのだ。しかし昔と今では生活が違う。分解されにくい界面活性剤が入ったシャンプーやリンス、液体洗剤は、かつては存在しなかった。建物を建てるとき、重機を使って地面を掘り返し、コンクリートの基礎を埋めることもしなかった。現代社会では、人が生活することが自然環境に与える負荷は、昔と比べものにならないぐらい大きいのだ。

八重山地方の島々に住む人も、都会の人と同じように“豊かな暮らし”を求めている。しかし都会人が「自然に囲まれた生活」を望むのに対し、多くの、特に年輩の離島出身者は「都会のような便利な生活」を追っているのだ。

たとえば西表島では、かつて島を半周する道路がなかったころ、40km離れた西部と東部を行き来するにはいったん船で石垣島に出る必要があった。現在、船で40分ほどの西表―石垣間が、8時間かかったのはそれほど昔ではない。その後、高速船が導入され、船の本数も1時間に1本程度に増えたが、それでもまだ足りないというおじいもいる。

「もっと速い船がほしいし、もっと便数も多い方がいい。先祖が開拓してやっとここまでこぎつけたが、都会並みになるにはまだまだだ。大型ホテルでも誘致して、島を“発展”させていかなくては」

“発展”が遅れ、ある意味ほかから取り残されたからこそ、八重山の島々にはこれだけ自然が残っているのだ。そこに魅力を感じ、「多少不便な暮らしでも自然を守っていきたい」と考える移住者に対し、「自分たちはさんざん都会の便利な生活を味わって、俺たちだけに不自由を押しつけるのか」と憤る島出身者。島を愛する気持ちは同じなのに、両者の溝はなかなか埋まらない。

島育ちの人が“繁栄”というとき、多くの場合「たくさんの人が住み活気がある」ということをイメージしている。村が栄えていることの定義は、都会のように、“お金持ちが多く住み、豪邸が立ち並んでいる”ことではない。若い人が大勢いて子供が駆け回り、廃校、廃村の心配がないことである。なぜなら、島では“お金”ではなく“人”が宝だからだ。農作業や冠婚葬祭など、島の社会では伝統的に、お金を出して業者に頼むかわりにユイマール(助け合い)でやってきたのだ。

ところが現実は、人口を増やそうにも離島ではアルバイト以外の働き口があまりない。家族を十分養える安定した仕事が少ないのだ。それが、島の将来を担うヤングファミリーの定着を難しくしている。そのため島の人が、
「雇用創出のために大型リゾートを!」
 と望むのも無理はないのだ。その結果、西表島にはまだひとつだが宮古島や石垣島、小浜島にはいくつもリゾートホテルができているし、与那国島でも計画が持ち上がっていると聞く。リゾートホテルはさまざまな願いを叶える打ち出の小槌のように思われているのだ。

ただ忘れてはならないのは、いくらかの雇用と引き替えに、島々が失うもののことである。大型ホテル建設にそれだけの価値はあるのか、ということだ。リゾート開発業者はたいていこういう。
「環境保全対策は国や県の基準を守ってきちんとやっています」
しかし“基準”を満たしていれば自然は保たれるのか。その“基準”は万全なのか。バランスが取れている自然に、機械の力を借りて人間が手を加えるのだ。影響がないはずがない。

それでは島の人たちはどういう気持ちでいるのか。それを知るのが一番大事で、いちばん難しいことでもある。

移住者の大多数は無関心を装い、自分の意見を口にできない。なぜなら、自分の家を持ち、島外でのビジネスや島外からの観光客を相手にする少数の自営業者以外、多くの移住者は地元出身者が経営する店で働き、アパートに住んでいるからだ。雇用主や大家と違う考え方を持つことがわかると、働き口を失ったり住む場所を追い出される可能性がある。

そのため、多くの人が同じように考えていても、移住者の考えは「一部の少数派意見」「よそ者の考え」としてないがしろにされる傾向がある。また、島の人にいくらかでも仕事の口や新たな商取引をもたらすことなのだから、よそから来た自分がとやかくいうのは差し控えるべきだ、と個人的な思いを抑える移住者もいる。

一方、島育ちの人もはっきりしたものいいをしないことが多い。島の社会は地縁血縁だらけだ。自分の考えが親戚の有力者と対立すれば、家族が困ることもあろう、と考えるからだ。その結果、声が大きく政治力のある一部の地元出身者の意見が、多数派意見として通ってしまいがちだ。

島で生まれ育った人と移住者の考え方の違いは、そう簡単にはなくならないだろう。しかし、島出身者の中にも内地で学び、働いた経験のある人が増えている。内地からの移住者も当分減ることはないのではないか。よくも悪くも島の内地化が進む中で、ナイチャーは八重山固有の歴史や文化、習慣などを学び、島出身者と共に守っていかなくてはならない。それが、この1年半に考えた、相互理解へ向けた私の結論である。


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