数日前、郵便局から車で戻るとき、チョータローさんに呼び止められた。
「あんた、あさって時間ないか?」
「なに?」
「ばあちゃんの百ヶ日法要なんだけどよ」
チョータローさんはひとり暮らしである。法事の人手が足りないのだろう。私でよければ、ということでお葬式に続き、インツばあさんの百ヶ日法要を手伝いに行くことにした。
8時半に来いというので、寝起きのぼんやりした頭で駆けつける。台所にはいろいろな食材が出ていたが、あまり準備はできていないようだ。石垣からやって来たチョータローさんの娘・ミサコさんも、法事は慣れていないらしい。なにかやるたびに「こんなもんかねー?」と私に確認したがる。もちろん私は、なにもわからない。
地元・祖納からは、どこかのおばあとその娘さんが手伝いにいてきた。おばあがテキパキと指示を出しながら、どうにか準備が進んでいく。もっとまじめに公民館の料理をやっておくべきだった。いちいち人に聞かないとなにもできない自分がもどかしい。
私はこの日、お手伝いをするのでお香典は持っていかなかったが、おばあの娘さんはちゃんと包んだらしい。
「私なんて小遣い削って出しているわよ。もうほんとに大変だわ」
こちらでは、1回のお香典は1000〜3000円が相場なのだが、お葬式、初七日、四十九日、百ヶ日と毎回包むので、合計すると結構な額になる。喪主の側でもそのたびにお料理やお酒を準備し、香典返しを用意する。どちらも大変だ。
お昼ごろからぽつぽつとお客さんが来た。お膳に刺身や酢の物、椀もの、お菓子、ご飯、お茶を載せて出す。お線香を上げたお客さんは少しおしゃべりをし、大抵、料理にはほとんど手をつけず、持って帰る。それを見越して、お刺身やご飯、お菓子は最初からお持ち帰り用の容器に入れてあり、お茶は缶のものが用意されていた。
お客さんが途切れた3時か4時ごろ。陣頭指揮をしていたおばあが、
「そろそろ帰ろうね」
と立ち上がった。そして私に、
「あんたはひとりものなんだから、最後までいるのよ」
といい残して出ていった。
お客さんの滞在時間はだいたい短かったが、ひとり、チョータローさんやほかのおじいたちと話をしながらくつろいでいた女性がいた。おばあの年齢なのだが上品で、若いころは相当な美人だったと思われる人だ。昔、司をやっていたという彼女は、チョータローさんの親戚でユキさんという。夕方近くになり、帰り支度を始めたユキさんは私に名字を聞き、続いて名前を訪ねた。
「いい名前ね。珍しいからすぐ覚えるわ」
ちょっと意外だった。西表では、名前を聞かれることもほめられることも、これまで1度もなかったからだ。そして彼女はさらに意外なことをいった。
「ほんとうに使いっぱなしでごめんなさいね。でもきっと、今日のことはいつかあなたに返ってくることだから」
島にはユイマールという言葉があり、昔は特に、農業でも家を建てることでもお葬式でも、助け合うのが当たり前だった。しかし最近は勤めに出ている人も多く、家でぶらぶらしている私はかっこうの手伝い要員になっている。それを当たり前だとするのがほとんどだが、中には評価し、感謝する人もいるのだ。そんなことがわかってうれしかった。
神様の声が聞けるような、特別なお告げがあったからこそ司をやっていたユキさんは、さらにこう続けた。
「ばあちゃんも『(この子は)知らない子だけどねぇ。ありがとね』って喜んでいるわよ。(ばあちゃんに)会ったことないでしょ?」
彼女の言葉に遺影を見ると、本当にインツさんがそういっているかのように感じた。不思議な気分だった。