昼間、練習に行くと、ノブエさんがあとから来た。
「チナミちゃんには今回おりてもらって、お正月に出たら、って。昨日、決まったみたいよ。私が辞めるっていったら、『そうはいかない』っていうし」
そう聞いても、特にショックではなかった。とうとう来たな、という感じ。8人じゃ並びが難しい、という話になったとき「踊りをおぼえきらんから私が降りる」とノブエさんはいったようだ。しかし「地元のあなたが出ないなんてとんでもない。うまいへたの話じゃない」と却下されたという。ノブエさんはこちらにきて18年になる。
いつも通り練習を終え、5時ごろ家に帰る。しばらくするとカヨコさんから電話があった。
「ちょっと個人的に話したいことがあるんだけど、5分、10分いいかな?」
いよいよ正式に戦力外通知を受けるのだ。
カヨコさんの説明はこうだった。
「あなたは来て間もないし、いつまでいるかわからないから、そういう人を干立の名前のついた大事な曲のお披露目の舞台に立たせるのはどうか、って。上の先輩方からやいやいいわれてね。私は婦人の会員に平等に声をかけて、踊れる人が出たらいいと思ったんだけど……」
あなたはやる気もあるし、努力もしている。踊りもできている。だからこんなこというのは心苦しいのだけれど、と言葉を選びながらいうのだ。
干立の人たち、とひとくちにいっても、世代によって考え方に違いがある。私が観察する限り、70代、80代はほとんど島を出たこともなく暮らしてきて、地元とよそ者の区別をはっきりと持つ。できればよそ者、ナイチャーとはつきあいたくないと思っているようだ。40〜60代は内地で暮らしたことがあったり、観光業に従事していたりと、ナイチャーとのつき合いが以前からある。ナイチャーを外しては部落の行事どころか村の存続もあやういので、それなりに大事にするのだ。20代、30代は、ナイチャーだからとか、地元だからとか、あまり区別して考えてはいないのではないか。
50代前半のカヨコさん、60代前半のナリコさんは、いつまで干立にいるかわからない人でも、いま干立に住み、行事を一緒にやりたいのならやればいい、と思っている。だから今回の踊りに関して「ちゃんと踊れるなら舞台に出す。踊れないなら出さない」と、技術のことを問題にしたのだ。まさか上の世代から、「地の人じゃないので大舞台には出すな」といわれると思っていなかったのだろう。だから私にも声がかかった。しかし練習するうちに、見学にくるおばあたちからクレームがついた。それをいい出せなくて、ナリコさんは私の顔を見るたび「出られるかわからんぞー」と繰り返すようになったのだろう。
メンバーの顔ぶれを思い浮かべると、自分が異質なのがよくわかった。8人のうちおばあが4人、若手が私を含めて4人。おばあ3人は地元の人で、ひとりが嫁いで18年のノブエさん。ノブエさんはウチナンチューだ。若手4人のうち2人は地元の子で、ひとりは東京出身ながらこちらの人と結婚して5年ぐらい。地元の人と結婚していないのも、子供がいないのも、私ひとりだ。そう思うと、自分がとんでもなく浮いた存在に思えてきた。
石垣市民会館での発表会には、ほかの竹富町の島々からの参加もある。踊っている人を見て、「あの人、だれ?」「ほら、だれだれんとこの3男の嫁だってよ」とかいう話になる。住み始めて1年半の独身のフリーライターなんてどこぞの馬の骨は、出すわけにはいかない、というのはよく理解できた。それに、踊りをおぼえたといっても、立ち方、歩き方、扇の持ち方などの基礎ができていないので、レベルが知れている。
「せめて『目出度節』でもやっていれば踊りにも慣れているんだけど」
とカヨコさん。それはいまさらいわないでほしいが、踊りがイタについていないのはよくわかる。
「先生にも相談したら、8人でもできないわけじゃないみたいだけど、7人の方がきれいだっていうし。まあ、踊りは習っていて損はないしね、あなたの財産になるものだから、練習には今まで通り出てもらって……」
カヨコさんのいいたいことはよくわかった。当日はほかの踊りに出たり、出演者の支度を手伝ったりして、気持ちよく裏方をやることにした。
耐えられない事件が起きたのは、その日の夜。石垣から先生が来る予定なので、私は踊っているところをビデオに撮ることにした。みんなで見たら勉強になると思ったのだ。ビデオは前回先生が来たときも他の人が撮り、全員で見た。今日もその人は撮るだろうけれど、別の角度からもう1本あってもいいと思っていた。
夜、練習に行くと、私が出ないことがなんとなくみんなに伝わっていた。というより私が「出さない」と通告されたことをみんなが知っている雰囲気だった。そうなるととたんに、「はじっこで踊れ」みたいなムードである。しかたのないことだが、ちょっと寂しかった。
私は舞台の上にビデオをセットしていた。テープを取り替えようと舞台に上がったとき、後ろから怒鳴られた。
「ビデオ撮るな!」
ヒデコさんだった。私だけなぜそんなことをいわれるのかわからなかった。もうひとり別の子が、入り口近くでビデオをまわしていた。その子は注意されていないのだ。
宙ぶらりんになった場をなんとかしようと、ナリコさんが解説した。
「自分のために撮って見るのはいいけれど、どっかに持っていって出したらダメだよ、って」
もう、ガッカリした。全然信用されてないのだ。ヒデコさんにはスーパーまでのお使いを頼まれたりと、少しは役に立ってきたつもりだ。受け入れられてきているなぁという感覚もあった。しかし、地元の子がビデオを撮ってもなにもいわないのに、私がやると頭ごなしに「撮るな!」である。地元に熱烈歓迎してもらいたいわけではないが、そんなに壁は厚いのか。島に来てはじめて、荷物まとめて帰ろうかなぁ、と真剣に考える。
休憩のときに使ったコーヒーカップやグラスを片づけ、家に帰ったのが12時ちょっと前。泊まりに来ていた友だちはすでに寝ていた。ケータイ電話片手に、愚痴を聞いてくれそうな近所の家々を徘徊するが、みな休んでいるようで、明かりが見えない。車を飛ばし船浦まで行ったが、途中にある友だちの家はどこも静まりかえっていた。やり場のない思いを抱えて家に戻り、やけ酒を飲む。しかし酔わない。祖納に20年近く通っている民俗学者によると、「僕が祖納で一応認知されるのに、5年ではまだまだだった」とのこと。だとすると、私もまだまだ、だな……。