あてどなくさまよっていると、給湯室で働くフーミンがいた。役員である彼女は、電気湯沸かし器をいくつもフル稼働させながら、温かいお茶を大量に作っているところだった。
「なんか、楽屋にいても所在なくてね」
そういうと、事情を察してかどうかはわからないが、大変そうだねぇという表情をしてくれた。
たわいのない話をしながら、会歌ダンスの振りを少し習う。フーミンは、
「ここのところが私もまだよくわかっていないんですよ〜」
などと明るくいいながら、給湯室でふたり、ステップを踏む。なんでもないようなことだが、気持ちが落ち着くのだった。
状況が変わったのは、リハーサルのあと。昼のお弁当を食べていると、今回『干立口説』の振りつけをされたモトモリ先生がいらっしゃった。80歳過ぎの女性。無形文化財にもなっている踊りの大家だ。週に1回干立に教えに来てくれていたキミコ先生の師匠にあたる。
「みなさん、頑張ってくださいね」
モトモリ先生はひとしきりメンバーを励ましたあと、私にこういった。
「あなたは今回出られなかったみたいだけど、一生懸命練習したようですね。決してムダにはなりませんから、別の機会に踊っていくといいですよ」
キミコ先生から私のことを聞いていたのだろうか。ひとり出られない子がいる、と。でもその子がいま目の前にいる私であると、どうしてわかったのだろう? 鋭い観察力にびっくりすると同時に、モトモリ先生、キミコ先生の気遣いがうれしかった。
モトモリ先生は続けてこうたずねた。
「この子、まさかこのまま舞台に出るわけじゃないでしょうね?」
『イーアール節』のことをいっているのだ。
「こんなんじゃこの子だけ真っ黒に見えるわよ。だめよ、ちゃんとやってあげなきゃ」
髪だけ簡単におだんごにして、化粧は自分でやることにはしているんですが……とカヨコさんが控えめに説明する。しかし私はすでに自分のファンデーションを塗っているのだ。手持ちの化粧品でこれ以上白くなることはできない。
「だったら塗ってあげなきゃ。はい、やってあげて」
有無をいわせぬ先生のひとことで、私の髪とメイクはプロの手にかかることになった。やはりここでは、物事は流動的なのだ。
お手伝いの方は、さっそく私の髪を手がけてくださった。
「髪が多くて上等ねぇ」
櫛を入れながらほめてくれる。
「長いから結いやすい。イリガン使わなくていいし」
私は自毛でカンプを結いたいため、髪をウエストのあたりまで伸ばしている。たいていの人はそこまで長くないので、イリガン(入れ髪)というつけ毛を足さなくてはならない。髪の長さによっては地毛とイリガンがうまく馴染まず、今日も他の人の髪ではだいぶ苦労されていたようだ。だからうれしそうに、あれこれいってくれるのだろう。
結局、私の頭は簡単なおだんごではなく、きれいなカンプに仕上がっていた。きちんとした舞台化粧もされ、ほかの人と同じように顔が白い。そうなると堂々と、みんなが使っていた水おしろいで、手と足と首を白く塗ることができた。これでやっと、人並み。しかしずいぶん気分が晴れ晴れする。
『干立口説』の舞台は、大変よかった。少し紫がかった明るい着物に脚絆、頭の白いハチマキ姿は凛々しく、男踊りならでは。扇を返すたびに、裏表の金銀がライトに当たってきれいだ。皆堂々と大舞台を勤め、昼と夜の2回公演は無事終了した。
問題の『イーアール節』は、あっという間に終わった。ふたり1組で踊るのだが、私以外の7人はなん度も経験しているので、事前練習はほとんど行われなかった。踊りのビデオもなく、
「不安だ、不安だ」
と私はさかんに訴えていたが、
「大丈夫よ」
ととりあってもらえなかった。「簡単だから大丈夫」という以外に、「お遊びで参加するものだから、踊れなくても大丈夫」という意味もあったと思う。
しかたないので開き直り、ほかの人の動作を盗み見ながらやることにした。私が舞台で『イーアール節』を踊るビデオも存在するが、鑑賞はきっと、なん年か先になるであろう。