今日は清掃検査の日。村の美化を保つため、年に2回ほど、公民館の役員が1軒1軒たずねて点検するのだ。庭の草や生け垣はきちんと手入れされているか、犬猫はなん匹飼っているか、などが主なチェック項目。そのため村の中ではここ10日ぐらい、各家でさかんに草刈りや庭の掃除をしていた。最近、自称“引きこもり”で1日中テレビばかり見ている三好さんは、検査に向けて急に草刈りをしたため膝に水がたまり、
「慣れないことはしちゃいけんなぁ」
とこぼしていたが。
4人の検査隊は午後4時前にメゾン三吉に到着。
「はい、じゃあチナミさん、700円ですね」
紙になにかを書き込みながら、カヨコさんがいった。この検査、チェックして「ハイ終わり」というわけではない。「検査料」を払わなくてはいけないのだ。金額は1世帯200円。そのほか、赤い羽根の共同募金が1世帯500円。東京では金額は自由だったはずだが、こちらでは違うらしい。
「はいはい、ちょっと待ってください」
財布を手に取り、お金を取り出そうとしたらびっくり。13円しか入ってない。あー、そういえば、おろしに行かなくちゃと思っていたんだった。車に乗り込み、郵便局でお金をおろしたらすぐに追いかけますから、といって出かける。役員たちは最後は公民館でブガリ直しだろう。そこでつかまえて払えばいい。
やや回復した財布を持って公民館に行くと、まだだれも戻ってなかった。そこに現れたのが、ユキエちゃん。
「どうしたの?」
「うん、踊りの練習なの。私ひとり、できないから……」
11月23日、干立と祖納の青年部が合同で恒例の青年祭を行うことになっている。干立青年部はそこで、『干立口説』を披露するようだ。踊るのはユキエちゃんとタケくん、そしてトモミちゃん。トモミちゃんは石垣での芸能発表会のメンバーでもある。
「タケもなにげに踊れるし、できないのは私ひとりでしょ。あせるよね〜」
淡々とユキエちゃんは話す。続けて、こちらの様子をうかがいながら、
「チナミちゃん、時間ある?」
「ないこともないけど、なに?」
「踊り、教えてくれない?」
私に教わるのは無謀というものだが、ビデオを見ながらひとり練習することの大変さは知っているので、細部は踊りのメンバーに確認してもらうことにし、ざっくりとした動作を一緒におさらいすることにした。それに、習ったはいいが披露できなかったことで、『干立口説』は私の中で不完全燃焼のままだ。観客がいなくても、人の練習のおつきあいでも、広い場所で思い切り踊れるのは、気分がよかった。
しばらくすると役員が戻り、外で宴会を始めた。そのうちのひとり、ナリコさんは、刺身をつまみながら私たちの練習をはらはらうかがっているようで、
「そこはそうじゃない!」
といいながら、たびたび入ってきては教えてくれる。八重山舞踊ド素人のナイチャーがふたり、あーでもないこーでもないとやっているのは見ちゃいられないのだろう。
「簡単に考えちゃだめだよー」
ユキエちゃんに向かい、ナリコさんは私にいったのとおなじことを説いた。
「簡単じゃないですぅ、難しいですぅ」
困り果てて応えるユキエちゃん。
「私だって難しかったよ、この踊り。すぐにはできなくて、とても苦労した。この踊りだけは一生忘れない」
ナリコさんでさえ、そんなに大変だったのか。
私は青年祭で踊るわけではないが、今日のナリコさんのアドバイスで、また少し動作が確実になった。発表の予定はまったくないが、隠し芸として磨いておくのも悪くないだろう。
夜は公民館で、芸能発表会の反省会。打ち上げはすでに発表会当日に石垣で終えていた。今日は地元での打ち上げということのようで、オードブルや刺身などのご馳走が並んでいる。そんな中、ひとりずつ、感想やら反省やらをつらつらいっていく。
地方のアキさんは、夜の公演での歌い出しのことについて触れた。踊り手が出そろい構えたので歌い出したが、相方のキンセーさんとの声がそろわなかったので自分が先走ったように聞こえたがそうじゃない、という説明だった。そうとういろいろな人に、歌い出しのタイミングを間違えた、と注意されたのだろう。実際には、アキさんのタイミングは正しかった。キンセーさんの声が最初、聞こえなかったので、マイクの調子が悪いのだろうと私は思っていたのだ。地方ひとつでもこれだけある。注目の舞台というのは大変だ。
アキさんのお父さん、ギマのおじいはすでにお酒もまわり、絶好調だった。
「芸は身を助けるといいます。三線弾きなさい、といったらすぐに弾ける。踊りなさい、といったらすぐに踊れる。そういう芸を身につけておくことは大事です」
彼は三線の名手でもある。おじいは私の方を見て、話を続けた。
「さきほど、ヤマシタさんがもうひとりの女の子と練習しているのを笑って見ていましたが、ヤマトには『干立口説』はありません」
全然踊れていないけれど、このすばらしい踊りの振りを身につけられたことを誇りに思うように、とのことだった。言葉に温かみがあった。
「サンキュー、サンキュー、サンキューベリマッチ」
おじいはギマ節を英語で締めくくり、どこかに消えていった。
しばらくして祖納からやって来たのがキンセーさん。地元の言葉で軽く挨拶したあと、
「ヤマトの人もいますので、日本語でもやりましょう」
といって、私たちにもわかる言葉でもう一度話した。出席者はざっと15人。そのうち古くからの地元の言葉が聞き取れるのが、約半数。話せる人となると、ほんの数人。地元育ちでも若い世代は聞き取りもできないようだ。
『干立口説』を作詞したキンセーさんは、歌詞の内容を改めて解説する。歌には干立にまつわる岩や山、松、伝説の人物や歴史などが見事に織り込まれていた。最後に彼は私に向かい、
「踊りは落第です。でもまだ可能性はありますから頑張ってください」
と、さらりといった。発表会前の練習のときに観察されていたのだ。
みんなが私の踊りに言及してくれることに、とまどいを感じていた。ほめる人はひとりもいない。でもけなしているわけでもなさそうだ。辛口ではあるが、応援してくれている気がする。その気持ちにどう応えていったらいいのだろう。
今回の発表会がやはり特別なものだったのだと改めて感じたのは、お祝いの金額を見たとき。会計報告のプリントには、「御芳志(15名) 5万5000円」「慰労会寄付金(2名) 2万円」などとある。それとは別に、お菓子や栄養ドリンクなどの差し入れも大勢の方からいただいていた。そういえば、踊りのメンバーのほとんどが自前で扇を新調し、中には「平成16年 干立口説発表記念」と隅の方に名前と一緒に書いていた人もいる。発表会後には、業者が撮影したビデオを大画面で流す鑑賞会も、西表で大々的に開かれた。大舞台で踊りが成功したことは、ほんとうに喜ばしいことだった。