朝からいろいろな経験をさせてもらっているが、まだお昼過ぎである。ボキューズ氏と彼のスタッフたちが去ったあと、私たちはお城の見学をすることになった。
ヴィシル城は13世紀初頭に建てられたもので、一部がフランス革命博物館になっている。1788年7月21日、この城で「聖職者、貴族、平民による地方三部会」が開催され、全国三部会の招集が決議された。これがフランス革命へつながったといわれ、この日は革命直前の重要な1日となっている。博物館のコレクションは、陶器、彫刻、絵画など、すべてフランス革命がテーマだ。
ご馳走で重くなったお腹をかかえ、館内をまわる。目を引いたのは窓から見える庭の風景だ。とにかく広い。向こうに見える山まで敷地が続いている感じである。地面には芝が敷き詰められ、ところどころに小さな森が見える。真ん中には川のような池があり、水鳥が泳いでいる。そばには田舎風の東屋もある。
花やコニファーといったシルバー系の草が植えられた広大な花壇は、アーガイル模様に区画されていた。とても手入れが行き届いていて、ナチュラルなイングリッシュガーデンとは違った芸術的な趣だ。
別の窓から外を見ると、眼下にクラシックカーの列が見えた。その前では軍楽隊が演奏しているようだ。あわてて降りていくと、非常に絵になる光景が展開されていた。お城の正面の前には、ラリー参加車の中でもよりすぐりの車が並べられている。おそらく普段は車など入れては行けない場所だろう。愛車が受けた特権的な待遇に、オーナーも喜んでいるに違いない。
軍楽隊の演奏がムードを盛り上げる中、お城とクラシックカーをじっくり鑑賞する。あまりに調和が取れていて、自分の車ではないがほれぼれしてしまう。これはマスコミ向けのサービスなんだろうなぁ、と思ったら、翌日の地元紙にこのシーンの写真が載っていた。それほどこのラリーにマッチした光景なのだ。
お城をあとにした私たちは、一路、グルノーブルへ。中世の香りが残るこじんまりと落ち着いた街には、路面電車が走っていた。一行が繁華街のど真ん中の広場に車を止めると、大型バスで連れてきた先ほどの軍楽隊が演奏を開始。大勢の観客に見守られ、にぎやかなパレードとなった。
なかなかおもしろかったのは、グルノーブル名物、ロープウェイ。ガチャガチャのカプセルのような球型の客室がイカしている。到着駅は14世紀に建てられたバスチーユ城塞で、標高500mの展望台からは、晴れていればモンブランも見えるという。今日はそこまでクリアに晴れていなかったが、空中から見る赤い屋根とブロッコリーみたいな木々が入り交じった光景は、とてもヨーロッパらしい感じである。
ツアー最終日の今日は、まだまだお楽しみが残されていた。ガラパーティだ。なんでも、有名な3つ星レストラン「E CHAVENT」でのディナーが用意されているとグルメ通のアメリカ人記者ハイディがいっていた。またまたご馳走が食べられるのである。
しかし問題があった。ヴィシル城でゆっくりしたため、ホテルに着いてレストランに向けて出発するまで、50分しかなくなってしまったのだ。シャワーを浴びて、ドレスに着替えて、というほかの人はそれで十分だろう。でも私には時間が足りそうになかった。浴衣を着ようと思っていたのだ。
大急ぎでシャワーを浴び、汗が引くのも待ちきれず浴衣をはおる。帯をしめていると、フロントから電話があった。レストランまで乗っていきなよ、といってくれたジャガーのローレンさんだ。
「用意できた?」
――まだ。
「あとなん分?」
――う〜ん、30分。
「え! そんなに?」
帯が終わっても、髪をアップにして化粧をしなくてはならない。それぐらいはかかるだろう。
ほかに送ってくれる車はないのだが、ヤケクソで
――先に行ってていいよ。
というと、
「じゃあ、待ってるね」
といって切れた。ローレンさんが辛抱強い人でよかったぁ。
やっと駐車場に出ていくと、「ワンダフル!」だの「ビューティフル!!」だのと褒めてくれる。これで、支度に時間がかかったワケを納得してもらえただろう。
たかが浴衣なのだが、“キモノ”は予想以上にウケた。彫りの浅い顔立ちに細い目、黒髪。欧米人の中では迫力不足で埋もれがちな身体特徴が真価を発揮するときだ。
それにしても、欧米人はオリエンタルなものに弱い、と知ってはいたが、これほどまでとは思わなかった。ラリー参加者のほとんどが、私に近寄って褒めちぎる。ラリー中、ほとんど話したことがなかった人までもだ。
女性は
「まあきれい! よく似合っているわ」
といったあと、どんな素材なのか、どういうときに着るのか、リボン(帯のこと)はどうやって結ぶのか、などと質問。
男性は、
「あなたの素敵なキモノ姿をひとことほめてもいいですか?」
と非常に紳士的な挨拶をしに来たり、
「あなたは今夜、私たちの中でいちばん素敵な装いをしている」
といったり。さすがフランスだけあって、アメリカなどより全然、女性へのアプローチが洗練されている。レディの気分にさせてくれるのだ。
市長公邸で歓迎式典、レセプションを終えたあと、レストランに向かう。シックな店内に通されると、丸テーブルが10ほど配置されていた。暖炉のそばの、英語が話せる人たちのグループに混ぜてもらう。
最後のディナーも心に残るものだった。まず、食前酒からデザートのコーヒー直前まで、用意されているのはモエ・エ・シャンドン。シャンパン一筋である。それだけでもディナーの質がわかる。
レースのような彫刻が施された平皿で運ばれてきた前菜は、「アスパラの前菜扇風とフォアグラの大理石仕立て」。扇のように広げたアスパラガスに、オーロラソースのようなソースがかかっている。その根元にはフォアグラのパテだ。
メインはオマール海老に2種類のソースがかかったもの。肉も嫌いではないが、オマール海老は大好物。毎日ラム続きだったので、とてもうれしい。
次に出てきたのは、チーズ。しかしただのチーズではない。私たちがお世話になったローヌ・アルプ地方には、加熱も圧搾もせず加塩だけで作られるチーズがある。そのサンマルセランチーズのグラタンだ。
見た目は、カマンベールチーズを丸のままオーブンで焼いた上にクルミのソースが繊細にかかっている雰囲気。とろけたチーズはパンとの相性抜群だ。シャンパンでおなかがいっぱいになっていたのだが、実はチーズも大好物なので、迷わずぺろっといただく。
ああ、もう入らない、と思うが、やはりデザートは別腹。スパイスの効いたソースのかかったアイスクリームである。上にはやはり繊細な飴細工、皿の余白にはブルーベリーとラズベリー、粉砂糖がちりばめられている。
こんなに贅沢ばかりしていいのかしら!? もう西表で修行なんてできないわぁ、と頭のすみにかすかに起こった邪念を振り払い、最後のコーヒーを紅茶にかえて、ディナーを終える。
こうして夢のようなラリーが過ぎ去った。あとにはたくさんの思い出と、ちょっとたるんだお腹が残ったのだった。