昨日は旧暦8月15日の十五夜。西表でも個人や部落単位で観月会が行われた。幸い台風も去り、流れる雲の間から満月が出たり入ったりしつつ美しい姿を見せる。悲劇は月が顔を出す直前の夕方起こった。
午後、早いうちにやって来たイチローさんは、三好さんからバーナーを借りていた。
「今日、おうちでヤギ焼くからよ、夕方おいで」
ヤギをつぶして汁にするのだ。あとでちょっと行ってみよう。
お腹がすいてきた7時前、車に乗り込む。三好さんに声をかけるがいないようだ。エンジンをかけ、敷地から出ようとしたとき、三好さんとマユミちゃんが、放したままの愛犬シロを連れて帰ってきた。散歩に行っていたらしい。
「はいはい、入って」
三好さんは庭の鎖につながれたシロの首輪を持ち、シロに向ける。散歩に満足していると自分から首を入れるのだが、遊び足りないのだろう。プイっと向きを変え、また外に出ていってしまった。まあ、そのうち帰ってくるさ。三好さんも「しょうがないな」という顔をして追いかけなかった。
「三好さん、そろそろイチローさんのとこに行くけど、どうする?」
「わしゃいいよ。もう食事もしたし」
マユミちゃんは基本的になんでも食べる人なのだが「ヤギだけは苦手」といって、家にいるという。
「じゃ、行ってきま〜す」
ひとり車を出すと、シロがどこからか勢いよく駆け寄りついてきた。全速力で気持ちよく走るシロと私の車は、前後しながらしばらく走った。
県道に出た。加速しようと思うがシロがまだ、愛らしくついてくる。
「シロ、危ないよ。もう帰りなさい」
開けた窓から注意しつつも、かわいらしいので振り切れない。
「ほらほら、見て。僕ってこんなに走れるんだよ」
と自慢しているようで、こちらを向きながら気持ちよく走っている。私はなんとなくシロのスピードに合わせ、時速20キロぐらいを保っていた。
車道を逆走するシロに対する危機感はあった。しかし「そんなに車は通らないだろう」とか、「通ってもシロに気づき停まってくれるだろう」とか、「シロが気づいてよけるだろう」という甘いイメージがあった。そうしたら、その間に走り去ればいい。シロは家に帰るに違いない。
あっという間だった。緩やかなカーブの向こうから「車が来た!」と気づいたときはまだ余裕があったはずだ。当然シロはよけると思った。しかし車が停まることもシロがよけることもなく、「ドンッ」と鈍い音がした。一呼吸置いて「キャン、キャン」という短い悲鳴が聞こえてきた。
「あ〜」
意外にも、頭に浮かんだのはそれだけだった。すぐに車をUターンさせ、シロとぶつかった車のところに戻ると、運転していた女の子が、泣きながらケータイで電話をしている。
「犬を轢いちゃったの。もう、怖くて運転できない……」
足下にはシロが横たわっていた。
「うちの……三好さんちの犬だから。いま、三好さん、呼んでくるね」
そういって家に戻った。
車で敷地に入りながら、クラクションをなん度か鳴らす。
「シロが轢かれた!」
というと、庭のイスに腰掛けタバコを吸っていた三好さんは、慌てて自分の軽トラに乗り込んだ。
「県道の左の方だからね」
私の声を背に、大急ぎで出ていった。
三好さん、私、マユミちゃんが現場に駆けつけたとき、シロは目をきょろきょろさせていた。よかった、生きてる。三好さんはシロを抱きかかえ、トラックの荷台に乗せて連れ帰った。
まったく出血していなかったシロのケガがどの程度かわからなかったが、足が折れているのは確かだった。そのうえ苦しそうに変な音を立て、あえいでいる。もしかしたら肺がやられているのだろうか。水が飲みたそうだが、与えてもほとんど口にしなかった。
「あとは僕が面倒を見るから」
静かに三好さんがいうので、マユミちゃんと私は部屋に戻った。三好さんは「自力で治ってもらうしかない」というが、たとえ動物病院に連れて行くにしても、もう船がないのだ。
シロが亡くなったのはそれから1時間後。荒い呼吸が治まったと思ったら、息を引き取ったそうだ。
翌朝、私が起きたときは、シロはすでに庭に埋められていた。草を刈り、新しく土が盛られた上に墓標となる石が乗っている。線香を手向けて手を合わせていると、横にしゃがむ三好さんの嗚咽が聞こえてきた。
「慣れてるつもりだったけど……」
顔を上げた三好さんの目は真っ赤だ。シロのお墓の周りには、ほかにも石が点々と置かれていた。以前飼っていた犬や猫の亡骸が埋められているのだ。
もう犬は飼わない、と三好さんはいうが、きっとまたすぐに、どこかでもらってくるのではないか。
「シロには悪いけど、この痛みを癒すのは、新しい犬の存在だと思う」
とマユミちゃんと私は考える。
「『どなたかもらってください』って書いた段ボール箱に子犬を入れて、三好さんの部屋の前に置いたらどうだろう? きっと喜んで育てそうだよね」
というのはマユミちゃんのアイデアだ。数カ月のうちにはかわいらしい子犬が、きっとメゾン三吉の一員になっているだろう。