8月1日(日) 「アラグスクの豊年祭」 晴れ

「チナさん、アラグスクの豊年祭、行かない?」
七夕のころ、リカちんに誘われた。
「いつ?」
 予定が合うならもちろん行きたい。
「1日の夕方船が出て、2日の朝、大原に戻るの」
行ける。絶対に行きたい!

豊年祭は各地で行われるが、アラグスクの豊年祭は特別なものである。アカマタ、クロマタという神様のお祭り。長い間、部外者は祭りを目にすることさえ許されなかったものだ。いまでは見に行くことはできるが、写真や録音、メモは禁止。祭りの様子は一切、外部に漏らしてはならないという。たたりがあるからだ。

今年の3月、石垣で行われた民俗芸能文化祭で、アラグスク豊年祭で歌われる曲の1つを聞いた。腹の底から力がぐっとこみ上げる、エネルギッシュでゾクゾクするすばらしい歌である。今年はぜひ、豊年祭を見に行きたかった。

「見事な祭だからぜひ行きなさい」
「一度見たら虜になるよ」
祭を知る人もそう勧めてくれるのだが、日程すらあまり知らされず、よほど身を入れて行く気でいないと逃してしまう。ところが今回はリカちんが日程を教えてくれたうえ、船の手配までしてくれるという。船が出る大原まで私は車を出せばよいのだ。こんなチャンスは滅多にない。

大原から17:30発の船に乗り、約20分。アラグスクの上地島に着いた。集落の入り口にある廃校になった小学校の校庭には、いくつものテントが建てられている。レジャーマットの上では観光客が談笑し、キャンプ場状態だ。早い時間にやってきて、海で遊んで日中過ごし、夜はお祭りを楽しもうという人たちだった。

祭りは島全体を舞台に夜通し行われるのだが、部外者が自由に過ごせるのはこの校庭のみ。私たち一行5人は手分けして2つテントを建て、さっそく居場所を確保した。クーラーボックスをテーブルにお茶を飲んでいると、祭りの気配が聞こえてくる。しかし、誘導があるまで、校庭からは出られない。

しばらくすると、スピーカーマイクを通して着物姿のおじいが呼びかけてきた。
「あなたがたはお祭りに参加しますか?」
 とまどいながら、校庭のあちこちから「はい」という声がパラパラあがる。
「参加するなら御嶽に来てください。参加しないのならこの場にいて、朝までここから出ないでください」

続いておじいは諸注意を告げた。カメラ、携帯電話はここに置いていくように。メモも取ってはいけません。
「これから島の中は全部赤信号です。勝手に動き回らず、こちらの指示に従ってください」
 手ぶらで立ち上がった私はそのまま、バッグを持った人たちは荷物チェックを受け、御嶽に向かった。普段は住民2名の島が、豊年祭のときは600人にもなる。御嶽にはそのほとんどが、集まっていた……。

ここから先のことは、私も書くことができない。ただいえるのは、アラグスク最大のお祭・豊年祭は、干立では豊年祭でなく、格上の節祭に匹敵する祭だということ。節祭が“厳か”だとすると、アカマタ・クロマタは“躍動的”で、見ているだけで不思議な力が、自分の中にわき上がる感じがするということだ。こんなお祭りがまだ残っているのがすばらしかった。

夜11時過ぎ、少し疲れた私たちは、校庭に戻り休憩することにした。テントからマットを持ち出し、芝生の上に寝転ぶ。星がきれいだ。気温も落ち着いて、外の方がずっと過ごしやすい。周りの人たちもおしゃべりしながら楽しそうだ。朝まで祭どっぷりの人もいるが、キャンプメインで“祭は夜の楽しみのひとつ”という人も少なくないのだ。

「あ、流れ星見た!」
 ずいぶん光の強い星が、ゆっくりと流れ、消えていった。
「カネカネカネ、って3回ぐらいいえた?」
 フーミンが聞く。
「5回ぐらいいえる時間だったけど、忘れてた」
 と私。ビンボー暮らしはまだまだ続くのだろう。

明け方、祭りのフィナーレを終えたあとの私たちは、かなり興奮気味だった。
「すごいね。よかったね」
とリカちん。
「来年はご祝儀持ってこようね」
フーミンもさっそく来年のプランを立てる。
「昼間来て海で遊ぶのもよくない?」
と私。もうすっかり来る気になっている。

着物姿のおじいが現れ、再びスピーカーマイクで話し出したのは、祭の余韻が残る中。
「これでお祭はすべて終わりです。島の中は青信号に変わりました。ただし、今夜、見聞きしたことはすべてこの島に置いていってください。ご自分のお荷物は忘れずにお持ち帰りください。ありがとうございました」
 ああ、終わったのだ。だれもがいうように、素晴らしい祭だった。

テントをたたみ港に向かうと、朝日が昇るところである。桟橋のコンクリートに座り、みんな朝焼けを見ている。とてもきれいだ。台湾、干立、アラグスクと続いた豊年祭三昧の旅は、ちょっと眠い朝、美しい朝焼けと共に終わりを迎えた。


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