そうこうするうちに告別式が始まった。そして出棺。インツさんの棺がガンに載せられる。ガンというのは棺桶を納めて火葬場に運ぶ輿のことである。槇の木で頑丈に作ったもので朱色に塗られており、屋根、柱、戸などはすべて組み立て式になっている。
ちょうちんを持った2人に続き、縦長の喪幕を手にした人が4人道路に出てきた。白い紙をはったちょうちんは木の長い棒についており、喪幕を釣る棒の頭には蓮の花の木彫り細工がついている。割った竹をクワズイモの葉で巻いた松明を持った青年が6人の先頭につき、行列が動き出した。
先頭の7人に続くのは、喪主のチョータローさん。喪服の上からサイグルマという白い紙のベストのような喪衣を着て、すぼめたこうもり傘をさしている。傘の先は金色の紙で包まれている。
その隣を歩く人はインツさんのゲタとぞうりを持ち、後ろには前卓と呼ばれる小さな足つきテーブルを手にする人がいる。前卓はお供えのお茶やご飯を載せてお焼香をするためのものだ。
あとに続くのが、天蓋と一升瓶を担ぐ人。真ちゅう製の竜頭を朱塗りの丸木棒の先につけ、その下には文字の書かれた白い布が垂れている。
そしてやっと、8人の青年に担がれたガン。インツさんは小柄なのだが、ガン自体が重いらしく、なん人かは汗でTシャツが背中に張りついている。遺族以外は作業を手伝えるように動きやすい服装の人が多いが、青年はそのうえ長靴ばきだ。山の中にある火葬場で、足を滑られガンを落としでもしたら大変、大変。
本来は飾り物の造花を持つ人も行列に加わるのだが、遺族の人手が足りないので今日は省略。トラックの荷台に積んで運ばれることになった。
私たちお手伝いの人間も、なん人か棺についていく。料理を積み、5人で軽トラックに乗り込む。
「昔は花を持った行列がついてね、きれいだったよ。でも人がいないから、もうできないね」
ガンを追い越さないようゆっくり走る車で、昔の行列を想像する。でも、今日のお葬式も悪くない。時間をかけていろいろな儀式をしながら村総出で見送るのは、少しずつお別れする感じがする。出棺したら霊柩車を追って焼き場に行き、高温で1時間半。涙も乾かぬうちに骨を拾ったらさあおしまい、という都会のやり方よりずっといい。
焼き場では棺を前にお坊さんが読経を行い、順番に線香。まわってきた一升瓶から酒を自分でつぎ、飲む。少し離れたところでは、青年たちがガンを解体している。ふる舞われた酒と料理をさっと口にし、ガンをしまいにいくようだ。
おばあちゃんにお別れをし、棺を納める。入り口は鉄板でふたをしてから、こねた土ですき間に封をする。先週、船浦中学で見た炭焼き窯を思い出す。
火葬場からの帰り、一緒に料理をしていたお姉さんが教えてくれる。
「ここはね、昔、川が流れていたのよ。祖納の婦人は洗濯しに来たんだから」
そうなのか。いまは田んぼしか見えないけど。
「あら、奥の方にいったらまだあるわよ」
「えー、そうなの? 今度行ってみよう!」
石垣からなん十年かぶりに西表に戻ってきたお姉さんが懐かしそうに。私もついていこうかな。
角を曲がると、チョータローさんがひとりで歩いていた。
「今日、晴れてよかったね」
と私。
「そうよ。雨だったらみんなぬれて、大変なことになってたよ。ばあちゃんが危篤になったとき、『もうちょっと待ってね』っていったら、『わかった』って。それで昨日の朝、『台風行ったから、いっていいよ』っていったら、『もう行くよ』って、すーっと行った」
インツばあちゃんとは会ったことがなかったけど、どんな人だったんだろう。ばあちゃん、天国でゆっくり休んでね。
参考文献:『八重山生活誌』(宮城文著、沖縄タイムス社刊)