7月11日(日) 「台湾豊年祭への旅・変わりゆく祭」 晴れ

高雄に着いた。大型船がたくさん停泊していて、かなり大きな国際港だ。税関を通過し外に出るとタクシーが1台止まっている。
「タクシー?」
運転手のおじさんが声をかけてきた。同じ船だった台湾人のおばさんに、高雄駅までの値段を聞いてもらうと、ひとり200元だという。650円ぐらいか。相場はいくらなのだろう? まあ荷物も重いし、乗ろうかなぁと思ったがふと考えた。この黄色い車は公認タクシーだ。だったらメーターがついているはずだ。それなら、ひとりいくらというのはおかしい。

「メーターで走ってもらえます?」
 おばさんに、もう一度、通訳してもらう。
「いや、ダメだ」

じゃあ、やっぱり歩くか。荷物を持って通りに向かうと、おじさんが追ってきた。
「メーター、オーケー」
 結局、駅までの料金は1台で170元だった。しばらく海外に出ていなかったため、いい値で買い物することに慣れていた。しかしこの1件で、“値切る、交渉する”という旅の基本を思い出した。

高雄の駅は日本の香りがする場所だった。1階のコンビニには日本語の雑誌が置いてあり、日本でよく目にする雑貨、たとえばメイク落としなどが日本語のパッケージのまま売られている。日本が流行のお手本というか、台湾の人たちからすると、日本製品は質がよくてかっこいい、というイメージなのがよくわかる。

しかし鉄道に関しては、事情はまったく違っていた。すべてが中国語で書かれていて、さっぱりわからない。窓口がいくつもあるがどこに並んだらいいのか見当もつかない。とりあえず案内所に行き、
「タイトウ、タイトウ(台東、台東)」
と目的地を連呼する。なん時の列車に乗りたいのか? と聞かれた気がしたので、
「ナウ、ナウ(今、今)」
と英語でいうと、切符の購入申込書に必要事項を記入してくれた。280元。クレジットカードで支払いができるのは、日本よりカード文化が進んでいる証拠だろう。

台東の駅からタクシーに着き、台湾原住民の研究者、リボクさんのアパートに向かう。知り合いの民俗学者に紹介してもらった彼とは、今日が初対面だ。
「いらっしゃい。さあどうぞ、どうぞ、入ってください」
 小児麻痺の後遺症で足が不自由な初老のリボクさんは、ゆっくり歩きながら、流ちょうな日本語で私を部屋に招き入れてくれた。

挨拶をして、おみやげに持ってきた古酒泡盛のカメを渡すと、リボクさんはうれしそうに受け取り、いった。
「いいときに来ましたね。私たちアミ族の収穫祭(豊年祭)がちょうど見られますよ」

台湾には漢民族が移ってくる前から住んでいた人々がいる。「台湾原住民」と呼ばれる人たちだ。政府が認めているのは12部族。35万人あまりが東部と中部山岳地帯に居住する。各部族はそれぞれの言葉や風俗習慣、部落の構造を持っていて、独自の祭りを行っている。人口約15万人と最大のアミ族が主に住むのは、台東から花蓮にかけての東部海岸地域。お米の収穫を祝う夏の豊年祭は部族最大のお祭りだ。

「アミ族の収穫祭は宗教儀式です。お米の神様に豊年を感謝すると同時に、『これからも村を守ってください』と村の神様、村建ての神様の霊にお願いするのです。日本時代は“収穫祭”といっていましたが、中国になって“豊年祭”と呼ぶようになりました。昔は満月に照らされ踊ったので、“月見祭”といっているところもあります」

日本が台湾を統治する前、アミ族はアワを作っており、収穫祭はアワの収穫を祝うものだった。台湾には首狩り族という民族がいて、祭では他の部族の人の首を狩って捧げていた。しかし日本時代に首狩りは禁止され、アワから米への作付けの転換が命じられたという。

豊年祭は農事暦での新年。農作業は休みとなり、部落民は新しい着物を着、新米を炊き、新しく作ったお酒を飲む。ケンカした家族も仲直りをする。豊年祭は単なる宗教儀式にとどまらず、教育や道徳も含んでいたのだった。

豊年祭につきものの歌は祝詞、踊りは祈りだとリボクさんはいう。単なるコーラスやダンスではない。幸福を祈り、災いを捨てるためのもの。日本でいう“福は内、鬼は外”の感覚に近いらしい。

男と女の恋愛が自由でなかった時代、祭は男女の貴重な出会いの場でもあった。アミ族は男が女の家に入る女系社会であり、交際の申し込みは女がする。祭で輪になり踊る男の背は、女が男を見そめる大事なポイントである。丈夫でよく働くかは背中に現れるのだ。

気に入った男がいると、女は近づいて肩をポンとたたき、タバコを差し出す。振り返った男がタバコを受け取れば、気持ちを受け取ったことになる。リボクさんの出身地、宜湾(サニワン)のアミ族にとって、タバコはビンロウ(*1)、お酒と並び、宝物といえる大事な嗜好品なのだ。

モテる男は当然、なん人もの女からタバコを受け取る。息子、あるいは男兄弟がどれだけタバコをもらってきたか、母や姉はやきもきするのだった。

昔は収穫祭が1週間続いた。タバコを渡した女性は翌日から男の家に行き、薪を切ったりご飯を炊くなどして家の手伝いをする。人気のある男の家にはなん人もの女性が集まった。男の家の母や姉は、女たちの働きぶりを見て、だれが好ましいかを男に伝える。男は必ずしもそれに従うわけではないが、祭りの最後の日の晩、祭の慰労会的な行事の場で、
「僕が好きなのは○○さん!」
とみんなの前でいわされたという。ここで公表されると正式に交際が認められることになり、娘も同じ気持ちであれば結婚へと話が進む。
「ただ、それは昔の話。いまは男が女性にかしずき選んでもらう時代です。メリットがないので、最近では、男はほとんど婿入りしません」

昔は宗教儀式だった豊年祭も、いまでは飲んで、歌って、踊るだけの場になろうとしている、とリボクさんはいう。そのうえ最近では、伝統文化を保護するという国の政策の一環で、各部族を集めて豊年祭を再現させ、どの部族の歌や踊りが優れているか、コンテストを行うことがあるらしい。

「文化は見せ物ではないし、優劣をつけられるものではありません。服装は統一されているか、踊りや歌はどれだけ伝統に基づいているかなどを比較していますが、祝詞や祈りを審査するのはおかしい、と気づくべきです。もはや昔ながらの豊年祭は消えつつあります」

 昔の名残をとどめる宜湾・アミ族の豊年祭を、今回の旅でたっぷり味わうつもりだ。


(*1)ビンロウ: 東南アジア一帯に見られる嗜好品。ビンロウヤシの実、カヅラの葉、生石灰を併せてかむ。ビンロウは嗜好品であると同時に、アミ族の呪術、宗教上において重要なアイテム。


参考資料:『リボク日記』(リボク著、馬淵悟編 南天書局有限公司刊)


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