夜はお母さんの家のそばにある教会のミサへ。アミ族が住む東部海岸にはカトリック、プロテスタント各派(長老派、真耶蘇教、日曜礼拝教会、エホバ教会など)が入り乱れて浸透している。中でも信者が多いのはカトリックと長老派。宜湾はカトリック教徒が9割以上の村で、お母さんもそのひとりだった。
カトリックが宜湾の人たちに受け入れられているのは、
1. 神父という聖職者が教会の責任者として存在するため管理体制がはっきりしている
2. 祖先の祭を否定しないため、部落の豊年祭ができる
3. ビンロウ、タバコ、酒が容認されている
という理由からだ。豊年祭は肯定されているわけではないが、他の宗派のように禁じてはいない。酒を飲んだらいけない、踊ってはいけない、という教えの宗派ではダメなのだ。
ただし最近の収穫祭は、カソリックの文化になじむよう、プログラムを作り、歌と踊りを見せるコンサートスタイルになっているらしい。先祖崇拝、自然崇拝的な考え方を排除し、文化祭のようにしたのだという。
今回もまた、祭の衣装を着てお出かけだ。ただし、昼間着たブルーのやつは、「年寄りくさいから」ということで黒い上着に替えられた。お母さんも略式ながら祭の衣装を着ている。
教会の中で賛美歌を歌ったり説教を聞いたりしたあと、庭に出る。今夜はリハーサル的なものだろう。若者たちが中心になり、収穫祭のときにしか歌わない7曲を披露しながら、手をつないで輪になって踊る。歌も踊りも都歴より種類が多く、複雑な感じがする。
おじい、おばあたちは、踊りを見ながらビンロウをかみ、葉巻を吸っている。屋外なのにあたりは煙でモクモクだ。みんなお酒もよく飲む。昨日、都歴にもあった赤いお酒(*1)と米酒(*2)である。しゃべったり笑ったりすると、赤黒くなった口の中が見えて、恐ろしい。
今夜は私は踊らないことにした。あまりに内輪だけなので、ちょっと気が引けたのだ。それに、若い女の人はほとんどいない。おじいとおばあと青年たち。そういえば中年男性もあまり見かけない。まだ帰省していない人も多いのだ。
8時半ごろ、ご飯が配られる。ゆでたブタとそのゆで汁だ。つぶしたブタを買ってゆでたらしい。塩をつけて食べる。おいしいがそんなにたくさんは食べられない。豚肉を口に運びながら、祭で食べるものは公民館が出す西表の習慣を思い出す。田舎の祭というのは似ているのかもしれない。
パカロガイと呼ばれる最年少の男の子たちは、今年、祭にはじめて参加する。13歳から15歳の彼らは、青年というよりまだ少年というか子供というか。ステップもおぼえきっておらず、列に連なっているのがやっとという雰囲気。明日からの本番は大丈夫だろうか。
教会からの帰り、坂道をお母さんと下っていると、
「ヘイ、日本人!」
と後ろから日本語で呼ばれた。
「はいっ!」
といって振り返る。
「違うの、お母さんのこと」
と声をかけたおばあは恐縮している。ちょっとふざけて呼んだだけらしい。まさか本物の日本人がいて、振り返るとは思わなかったようだ。
「だって、ここは昔、日本だったんだもんねぇ」
とごく当たり前にいっているお母さん。全然イヤミに聞こえない。旧日本生まれのこの人は、旧日本人というべきか。
(*1)赤いお酒:「ウィシビー」という混合酒と思われる。養命酒のような、アニエスのような、薬草系の味。
(*2)米酒:米から作った焼酎。昔は粟から自分たちで作ったらしい。
参考資料:『リボク日記』(リボク著、馬淵悟編 南天書局有限公司刊)