朝ご飯のあと、村を散歩した。川沿いは田舎ののどかな風景で、河川敷で鳥が飼われている。しかし坂を上り山に向かって歩くと、荒れた田畑しかない。
「どこ行くの?」
商店の前でおしゃべりしているおばあたちから声がかかる。
「あっちに行ったんだけど、いまはなにも作ってないんですね」
おばあは自分たちが食べているナシを勧めてくれた。大きくてみずみずしいナシはよく冷えている。
橋の向こうでは青年たちがお昼の準備の真っ最中だった。コンクリートが打たれた屋根つきの集会場は、やはりバスケットボールのコートぐらい。ここが収穫祭の会場になる。
大きなカジキはテキパキとさばかれ、大鍋でショウガと一緒に煮る。隣の別鍋にあるのはタケノコとわかめだ。おいしそうだなぁと思って近づくと、わかめだと思ったのは人差し指の先ぐらいのカエル。緑色が海藻に似ていたのだった。
しばらくするとトラックが来て、豚一頭がおろされた。血はすでに抜かれている。山刀のような刃物を持った30代半ばの青年を中心に、ベニヤ板の上に置かれた豚はどんどん解体されていく。頭も内臓も三枚肉も。“気持ち悪い”どころか“おいしそう”と感じるのは、解体のあとはいつもご馳走にありつけるからか。
どっと疲れたのはこのあと。石垣からの船で買った免税マイルドセブン1箱を差し入れ、料理を見学していると、5歳ぐらいの男の子がふたり、死んだトカゲで遊んでいるのが視界の端に見えた。こっちに来るなよ、こっちに来るな、と念じていると、通じたのかこちらにやって来た。しかもしっぽをつかんだとかげをぶらぶらさせながら。
「ギャ!」
といって後ろに下がると、やはり調子に乗って、追っかけてくる。
「やだーやめてよー!」
と本気で怒り、全速力で走って川の上流に逃げる。
「あらカワイイ!」
とかいいながらトカゲの死体をひとなですればよかったのだろうか? でもそんなことできるはずがない。しばらく時間をつぶしてそっと戻ってみると、クソガキどもはもうすっかり別の遊びをしていた。あーよかった。
料理ができると、集会場の縁いっぱいにイスが“し”の字を描いて並べられた。部落の男性がここに、年齢順に座って食事をするのだ。
母系社会のアミ族には男子年齢階級制度がある。宜湾では3歳ごとに年齢を区切り、ひとつの級にしている。いちばん若い12〜15歳の級は準青年組織「パカロガイ」といい、もっぱら青年組の使い走り、伝令役だ。ちなみに大きな年齢で区切った呼び方は、
12〜17歳 少年組
18歳(結婚できる年齢)〜35歳 青年組
〈35歳からは幹部となる〉
36歳〜 老年組
社会では「社長」や「先生」だったりしても、宜湾に帰れば年齢階級どおり。年齢の順番を守り、目上を敬い、お行儀よくしなさい、という教えが子供のころから徹底される。
「そういうふうに育てられるのでアミ族はケンカにならないのです。だからアミ族の男は利用されるんだ、という人もいますが」
とリボクさん。その昔、村のことはみんなで助け合った。失業者もいなければお金持ちもなく、年齢だけが序列の基準だった。その伝統が今でも生きている。
イスの準備ができると、村の男衆が集まってきた。合計70〜80名。だれもなにも指示しないが、年齢順に席に着いている。食べ物を配るのに忙しいパカロガイにはイスが足りなりないが、手の空いた子から地面に座っている。まあ、そういうものだろう。
イスに座った男たちは、「生きた立体文字」だとリボクさんはいう。末席の少年から先頭のおじいまで、人間の成長過程が見えるだけでなく、だれがだれより上なのか下なのか、一目でわかる。一番先頭の長老は誇らしい気持ちと同時に、次はお墓だ、ということもつきつけられる。
「人は結婚し、子供や孫を作り、病気になって墓に入るのが自然な生き方だとアミ族は考えます。だから、途中で死んだら笑われます。寿命が来るまで生きるのがまっとうな人生なのです。しかし最近は事故やケンカで若くして亡くなる人も多い。自殺やけんかで死んだ人は、“祖霊”として祭ることができません」
宜湾は人口6500人の村だ。しかし実際に村で生活している人は100名程度。あとは都会で暮らしている。収穫祭は部落にとって重要な祭りなので、参加しないことは一種の罪である。ことわりなく欠席した場合は罰金を払わなくてはいけない。それがたび重なると、部落から除名となる。除名はいちばん不名誉なことだ。
しかし公務員や兵役に行っている若者、学校の先生は祭りのときの帰省がままならない。宜湾はもはや農業社会ではない。若者は都会にいる。戻れない場合は、お金を払うことで任務を果たしたことになるという。また、昔は5日だった収穫祭は、いまでは3日に短縮されている。収穫祭も年齢階級制度も、時代の流れと共に揺らいでいた。
みんながそろったころ、長老から挨拶があった。しかし内容が理解できるのはある年齢以上の人だけ。少年たちは都会で育っているため、アミ語ができない。つまりおじいの演説がわからない。方言が消えかけているのは、西表も宜湾も同じだった。
配られたご馳走は、ゆで豚、ゆで豚のゆで汁、カジキショウガ、そして例のタケノコガエル。ゆで汁スープ以外は竹の皮のようなものに盛られている。男たちは級ごとに小さな輪になって食べ物を囲む。
「こちらにどうぞ」
知り合いのおじさんが声をかけてくれた。本来、女性は参加できないのだが、特別な配慮だ。
みんなは家から蒸した餅米を持ってきていた。おすそ分けが回ってくるのでいただく。おいしい。おこわは大好きだ。いよいよ料理に箸をつける。まずはタケノコガエルのタケノコ。ちょっとしょっぱい。次はカジキ。これはまあまあ。豚は三枚肉より中身がおいしい。特にレバー。これは塩をつけ、ぱくぱく食べる。
残るはカエルだが、見た目がグロテスクで少しためらう。「おいしいよ」と勧めてくれる人がいたら味見しようと思っていたが、だれも手をつけない。カエルの塩ゆではアミ族の好物と聞いていたが、もはや違うのか。
意外と美味だったのが、豚のゆで汁スープ。洗面器に配られた汁をひとつのカップですくい、変わりばんこに飲む。同じ釜の飯じゃなくて、これでは同じ洗面器のスープだが、こうして食事を取ってきたからみんな仲がいいのだろう。ともかくショウガが利いてすっきりした味だ。
途中でたびたびパカロガイがお酒を持ってまわってきた。酒は神様の象徴ということで、5分に1回ついでまわるらしい。このお酒の勧め方がおもしろい。ミツーと呼ばれる米酒(焼酎)を500mlのペットボトルから竹のコップにつぐ。ひざまづき、地面すれすれのあたりからすくい上げるように竹の杯を差し出す。敬意を表す勧め方だという。
杯を向けられた人が素直に飲めば次に行けるが、
「先に飲め」
といわれたら飲むしかない。そして再び同じように杯を勧める。お酒を飲みつけない10代半ばの少年たちは、1周終えるころにはフラフラだ。こうやって酒に強くなっていくのだろう。ちなみに杯はやはりひとつ。アミ族は団体社会なので、コップもカップもひとつを共有するらしい。
参考資料:『リボク日記』(リボク著、馬淵悟編 南天書局有限公司刊)