6月5日(土) 「炭焼き」 晴れ。夕方から少し雨

久しぶりに気持ちよく晴れている。こういう日は当然、洗濯で1日が始まる。こんな天気なら夕方にはすっかり乾くだろう。

午後から船浦中学校の炭焼きを手伝いに行く。船浦、上原、中野、浦内の4つの新興集落の子供が通う船浦中は、船浦港から坂を上がったところにある。ほかは小学校を併設しているが、ここだけは西部でゆいいつ独立した中学で、全校生徒は32人にもなる。

船浦中では毎年この時期に、保護者の協力のもと、全校生徒が力を合わせて炭を作る。それを売り、生徒の活動資金の足しにするのだ。

お父さんたちが山から切り出してきたモクマオウの小枝を、女の子たちが小ぶりのノコギリで落とす。それを中学3年生の男子を中心にチェーンソーで70cmずつぐらいに切る。短くなった木を炭焼き窯につめ、1週間ほど焼き続けると立派な木炭ができる。今日は木を切って窯に入れるまでの作業を行うことになっていた。

廃油石けんを作っている私とフーミンは、石けんの臭い消しに炭を使うことを思いついた。廃油をいったん炭にくぐらせてから石けん作りに使ったら、廃油特有の臭いが消えるのではないか。そうだ、船浦中学の炭焼きを手伝って、商品にならない粉炭をもらってこよう!

私たちが着いたとき、校庭の裏ではすでに、みんなで作業に取りかかっていた。女の子は一生懸命。より危険度の高い作業をする男の子は真剣で汗だく。チェーンソーに慣れた子は、太い木を切る姿も堂に入っている。お父さんたちも汗を噴出させ、服を着たまま海から上がってきたみたいにびしょぬれだ。

校長先生によると、炭焼きはここ20年ぐらいやっている行事らしい。昔、西表にはお金になる産業がほとんどなかった。ゆいいつ換金できたのが木炭で、親たちは子供を学校にやるために、せっせと木を切り出し炭にした。いまはもう木炭で煮炊きする時代ではないが、西表の歴史と伝統技術を子供たちに伝えるために行っているのだ。

全国ではほかにも炭焼き体験をさせている学校がある。しかし船浦中の炭焼き窯ほど大きな窯を持つところは2〜3カ所だという。窯は体験用のミニチュアではなく、中に入ると3畳ぐらいの広さ。高さは180cmぐらいか。夕方までに、ここに木をすき間なく入れていくのだ。こりゃ大変だ。

最初、小枝落としを手伝っていた私は、すぐに疲れてやめた。ノコギリがよく切れないのだ(ということにしておこう)。もっと楽なことがしたいと思い、窯のそばをうろうろしていると、
「さーさー、土をこねるぞ〜」
とだれかのお父さんがいった。6〜7人の子供たちがわっと寄ってきた。こっちの方が楽しそうだ。

パイン畑から運んできた粘土質の土には、ワラや小石、小枝が混ざっている。それをていねいに取り除く。この土は窯を閉じたときすき間を塞ぐために使うものだ。ゴミが混ざっていると粘土がひび割れてしまうので、できるだけきれいに取り去らなくてはならない。

子供たちはおしゃべりしつつ遊びながら、「わー!」とか「きゃー!」などといって作業をしている。私はまたもやゴミ取りにも飽きて、最後は写真撮りにまわり、子供たちと遊ぶ。陶芸の心得があるフーミンは、最後までていねいにゴミを取り続け、質の高い粘度に仕上げることに貢献した。この人はほんとうにえらいと思う。

混じりものがだいたいなくなったら、水を足して足でこねる番だ。
「行くぞー!」
 という合図でホースから水が出てきた。粘土の山に素足で入り、足踏みをする。小さな粘土の山にみんないっせいに入ったので、押しくらまんじゅう状態だ。もちろん、しりもちをつくやつもいる。こりゃもう、ただの泥遊びだ。

 ひとしきりこねたあと、直径15cmぐらいのおだんごにして、板の上に並べていく。ノルマはひとり10個。最終的には100個近くできた。

 私たちが粘土遊びをしている一方、まじめな子供たちは黙々と木を切り続け、一輪車で運び、まじめなおとうさんたちも交代で木を窯に並べていた。三畳間いっぱいの木というのは相当な量で、そこらじゅうに広がっていたたくさんの木が、どんどん窯に収納されていく。私がやるわけではないのだが、ゆくゆくはこれをまた中から出すのかと思うと、それだけで疲れる気がする。

 木を並べ終えると、入り口に岩を積んでいった。一段乗せる。粘土玉を岩と岩の境目にぶつけてすき間をふさぐ。また1段積む。粘土玉で塞ぐ……。そうやって入り口は上までふさがれていき、今日の作業は完了。後日、天気を見て窯に火を入れ、昼夜見守って1週間後に完成だ。

 そのあとはお決まりのブガリ。働いたお父さんたちに混じり、ビールをいただく。ひゃーうまい。つまみは子供たちと一緒の八重山ソバと、大人だけに出ている刺身。遊んでいただけなのに悪いなぁ。部落作業のときにも感じるが、みんなで作業をしたあとのブガリは、なかなかいい習慣だ。そう思うようになったということは、西表人化してき証拠だろうか?

 雲が出てきた。
「あ、洗濯物!」
 ということで、車を飛ばして家に帰る。途中、雨が降りだしたが、浦内橋あたりからは降っておらず、そのままメゾン三吉に到着。ギリギリセーフ。炭焼きの窯入れも洗濯物も、間に合ってよかった。


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