6月17日(木) 「やっぱり最後は西表で畑人」 晴れ

朝、ノボルおじいがいつものように、散歩の途中で寄ってくれた。
「おはよう。三好さんはまだ漁から帰ってないよ」
 夜釣りに行くときは夕方出かけ、朝まで戻ってこない。でももう8時過ぎだ。そろそろ帰ってくるだろう。

 どうしてそういう話題になったのだろうか。立ち話をしていると、
「なんでも先を読んで見極めるのが大事よ」
ノボルおじいがいい出した。
「こっちに戻ってきてよかったよ、気楽で」

 那覇で経営していた会社を人に譲り、西表に戻って間もなく4年。いいときにやめた、とつくづく思うらしい。

 現在72歳のノボルおじいは、大変な働き者だ。しかしそれは、小さいころからのクセなのかもしれない。この島に生まれ、8歳でお父さん、12歳でお母さんを亡くし、ノボル少年は4人兄弟の長男として弟や妹の面倒を見てきた。
「親がないからなぁ、学校にも行けず。難儀したよ」
 しかしそのハンディは、人一倍よく働くことで補った。

西表の暮らしには、昔から自由があった。
「昼は暑いから昼寝して、自分の好きなときに草取りして、夕方から酒。公民館のみんなとよく飲んでたよ。でもあんなしてたらダメになると思って、25歳で島を飛び出したさ」

向かったのは石垣島。女性1400人、男性800人が働き、隆盛を極めていたパイン工場で缶詰の検査係になった。賃金は1時間10セント。1日8時間働いて80セント。ガッツのあるノボル青年は毎日5時間以上残業した。

数年後、働きぶりが認められ、正社員に昇格。しかし給料は1カ月40ドル。
「はー、バカらしくなって、1カ月で『辞める』っていったよ」
残業に次ぐ残業で、それまで毎月72ドルも稼いでいたのだ。

慌てたのは工場長である。ノボル青年は役所の検査官とツーカーの仲だった。ノボル青年がいれば検査はほとんどノーチェックだが、他の人ではそうはいかない。厳しく検査され、不良品が見つかると、ラインはストップ。大変な損害なのだ。工場長は提案した。
「給料を倍にするから、なんとか思いとどまってくれないか」

しかしノボル青年の意志は固かった。
「男がいったんいい出したことを、簡単には変えられない。お金の問題じゃないんだ。オレは辞める」
 今絶頂期にあるパイン工場も、そのうち下火になるだろう、という読みもあった。
「勢いがあるものは必ずダメになっていく。そうなってからじゃ遅い。先を読んで行動しないと」

こうして、同じ工場に勤める奥さんを連れ、石垣を出ることにした。30歳のときだ。

向かったのは那覇。最初の2年は漁船に乗り、漁師をした。そのあと、とび職に変わる。38人の職人を束ねる親方だ。現場には毎日、10人単位で人を派遣した。職人の日当は1人1日1ドル50セント。そこから30セントを「ピンハネ」する。ノボルおじいは稼ぎを増やすため、派遣先の会社の経理係をたびたび接待した。
「14人送っても18人分の給料をつけてもらう。そうすると額が大きい。1カ月にすると、だいぶ違う」
 儲けたお金で首里に広い土地を買い、家を建てた。生活は順調だった。

しかしトビの親方も、長くは続けなかった。沖縄が日本に復帰したためだ。
「本土からもっとできるヤツが入ってくる。自分なんかの技術じゃダメだ。もうやめよう」
これからは土木・建築だ、と気づいたノボルさんは、会社を興した。職人たちには「やる気があるならついてこい」と伝えた。間もなく沖縄のトビ職は勢いを失い、ノボルさんは沖縄の復興ブームに乗って会社を大きくしていった。

しかしその会社も、4年前にやめた。「あんたがやりなさい」と、4000万円の株式と一緒に、渋る専務に譲渡したのだ。
「大変だったよ、頭ばっかり使って。毎月4000万、5000万円下請け会社に払わなきゃいけない。どうやって資金繰りするかいつも頭を悩ませてたよ」
入金は億単位である。しかし借金なしでやっていくのは綱渡りだった。

「いいときにやめたよ」
ノボルおじいはみんなからいわれるという。まだ続けている仲間はみな、やめるにやめられない。借金ばかりが増えている。

こうしてノボルおじいは、39年間住んだ那覇を離れ、3年前からふるさと西表で農業三昧。
「いま、こうしてどん百姓やってるけど、気楽でいいよ。毎日自分の食べるものだけ作って。大した暮らしじゃなけど、こういうのがいいな」

 72年の人生から出た、含蓄のある言葉だ。


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