昼寝をしていたら、部屋の外でイチローさんの声がした。
「三好さん、昨日退院してきたよ」
あいさつしている。しばらくなにか話したあと、
「ヤマシタさん」
今度はうちの網戸の外でぼそっと呼んでいる。
「明日、島らっきょう取りに来る?」
3月、東京に戻る前に、島らっきょうができたら分けてほしい、とお願いしていたのだ。それをおぼえてくれていたなんて。いい人だなぁ。
「イチローさん、大変だったね」
玄関に行って網戸をあける。
「だからよ」
“だからよ”というのは“そうなんだよ”ぐらいの相づち。「だから……なに?」と続きを待っても、なにも出てこない。
ちょっと話をしたあと、結局、明日、お昼後に家を訪ねる約束をした。
夜8時からは、婦人会例会だ。10人ぐらい集まっている。今日はぜひ、意見を聞いてみたいことがあった。廃油石けんのことだ。
しばらく前から廃油石けん作りに凝っていた。牛乳パックで固めて固形石けんにしているのだが、どんどん発想がエスカレートしていき、近ごろは
「島中の廃油を回収し、粉石けんを作りたい!」
と野望を抱くようになった。そういうのってどう思います? 廃油の回収に協力してもらえますか? 一緒に石けん作りませんか? 島産の廃油から作った粉石けん、ぜひ使ってもらえませんか?
廃油石けんにはいい点がいくつもある。島には宿がたくさんあり、みな廃油の処理に困っている。そのまま排水溝に流せば、下水施設のない西表の海を汚す。天ぷら油処理剤を使っても、ゴミ焼却炉がなく野焼きするこの島では、やはり環境によくない。しかし廃油で石けんを作れば、捨てられる廃油が有効活用される。簡単にできる環境対策として、廃油石けん作りは全国で(もちろん海外でも)行われていた。
しかも、廃油石けんには保湿成分のグリセリンが残るので、手が荒れにくい。普通の石けんでは、作る過程でグリセリンを除去している。グリセリン単体で商品として売れるからだ。だからなん度か手を洗うと、ガサガサになってしまう。
廃油で石けんを作って使えば、ゴミが減り、合成洗剤の使用も減り、島を汚さず、手も荒れにくい。いいことだらけだ! と思うが、もちろんデメリットもある。廃油の固形石けんは、なんとなく臭う。環境にいいからと廃油石けんを使う家の赤ちゃんを抱いたら、ミルクの香りではなく天ぷら油の臭いがした、というエピソードがあるくらい。また、粉石けんにした場合、水解けがちょっと悪かったり、泡立ちにくかったり、という点も問題だ。
こういうデメリットのため、宿をやっている知り合いに聞いても、いい反応が返ってこない。
「合成洗剤と同じ使い勝手じゃないとね。いちいちお湯で溶かす時間なんてないわよ」
いや、お湯で溶かさなくても、水に入れ、手でかき混ぜてから洗濯物を入れればいいんですが。
「泡立ちが悪いんでしょ? それじゃ困るのよね」
泡立ちと汚れ落ちは別物らしいですよ。汚れ落ちはいいみたい。蛍光剤は入ってないから、真っ白にはならないけど。
「高いんじゃないの? 環境によくてもコストがかかるなら使えないわ」
NPOみたいなのを立ち上げて、ほとんど儲けがないぐらいでやれたらいいな、と。合成洗剤より安くなると思いますが。
私自身、廃油粉石けんを使いはじめたが、水解けが悪く合成洗剤に戻したことがあった。全自動洗濯機のスイッチを押し、水を出しながら石けんを入れ、すぐに洗濯物を放り込む、というやり方をしていたが、いつも衣類に白く粉石けんが残った。それでイヤになってしまったのだ。でもいま考えれば、ちゃんと溶かせば使い心地がよかったに違いない。かき混ぜるひと手間を惜しんだために、廃油粉石けんから遠ざかっていた。
2、3の知人の意見を聞いていたので、婦人会での反応は期待していなかった。でも、これは島全体で取り組んだ方がいいにきまっている。みんなの協力は必要不可欠なのだ。
議題の最後に入れてもらうことになっていたが、なかなか議事が進まない。開始から1時間以上経ち、ケーキを切って配ったりしている。待ちきれず、マサコさんの隣に席を移り、聞いてもらうことにした。
私が話し終えると、マサコさんは厳しい顔でこういった。
「どうして便利な石けん使っているのに、今までのじゃいけないの?」
――海が汚れたりするから……
「どうして? 海は汚れてないわよ。魚だって捕れるし、食べられるじゃない」
――みんなそう思ってますか、やっぱり。
「油出したらなにかいいことあるの? お金でももらえるわけ?」
――出してもらった油の分は、粉石けんでお返ししたりして……
「都会から来た女の子が、地元を丸め込んで油を取って、ひとりで儲けようとしているのね」
――そんなふうにいわれちゃいますかね。NPOとかを立ち上げて、利益はあまり出ない値づけにしたらいいかな、と考えているんだけど。
マサコさんの顔があまりに険しかったので、一瞬、本気でいっているのかと怖くなった。しかし私は知っている。食器洗いにもシャンプーにも廃油石けんを使い、しかも油汚れ以外の洗い物は水で流すだけ。洗剤はなるべく使わない――それがマサコさんの暮らし方だった。
「あなたが思っているほど、そんなに簡単じゃないわよ。環境に悪いから、っていわれて合成洗剤をやめるようだったら、この島にあんなホテルなんて建たないわよ」
“あんなホテル”とは、現在、裁判でリゾート開発差し止め訴訟を起こされているユニマットの大型ホテル、ニラカナイのことだ。
――やっぱり難しいですかね?
「説得しなきゃ」
――みんなそんなに意識が低いのかな?
「意識が低いとかじゃないのよ。好みの問題なの。私は石けんの方がさっぱりしていて好きなの。合成洗剤を使う人は合成洗剤が好きだから使っているの。あなた、そういうふうに思っていると、間違えるわよ」
そうか。そう考えるべきかもしれない。
「だいいち、石けん作っても使わないじゃない。廃油が出るから、って毎年婦人会で廃油石けん作るけど、野ざらしになっているわよ」
――廃油の臭いが気になって使わなくなる、って聞いたんですけど。
「それは『なんで使わなくなるの?』って聞かれたから、そういうもっともな理由をいっているだけ。本当は違うわよ。最初から使いたくないのよ」
メゲる。どうすればいいんだろう。
「私もそういう石けんがこの島にあったらいいなと思うわよ。外で買っても安くないしね。でもみんなに広めるのは、そうとう難しいと思うわ」
この思いつきは、まったく実現の可能性がないのか? 自分だけ合成石けんをやめるという小さな努力しかできないのか? 結局この日、みんなの前で石けんの話をすることはなかった。「議題の最後に……」といっていた婦人部長が、私に話をふってこなかったのだ。
みんなにとってはその程度の関心事でしかなかった。