4月22日(木) 「モズク採り」 晴れ

昨日で大潮は終わったが、まだ潮がいいのでモズクを採りに行く。

浜に行こうと歩いていると、公民館の入り口におばあたちがいる。
「なにやってるんですか?」
「世願い(ユーニガイ)の貝」
 今度の日曜、世願いという部落の神行事がある。そのとき使うお供え、ブンヌス(*1)に入れる貝を準備しているらしい。

ザルを抱えている私を見て、
「モズク採りに行くの?」
と、ナリコさんがいった。
「これやってから行け!」
と笑いながら命令する。「手伝え!」と親しげに声をかけられたことがうれしく、余っている包丁を取ってもらう。20代、30代の女性たちは、みな仕事や家のことで忙しく、もともと声をかけられていない。ヒマジンの私だけが、おばあに混じり、貝を手にする。

「これはなに貝ですか?」
「ヤマエギ。岩に張りついてるものだけど、山の毒虫に似ているからそう呼んでるの」
 ノボルおじいの妹、テツコさんが教えてくれる。その横ではテルコさんが、
「どこの人?」
 と私のことを、小声で誰かに聞いている。
「ほら、三好さんのとこの。新聞記者だって」
 なにやってるの? と聞かれ、ライターです、といってもたいてい怪訝な顔をされるので「雑誌記者です」といい添えていた。それがおばあの思考回路では「新聞記者」に翻訳されたのだろう。ま、同じようなものか。

UFOみたいなヤマエギをたらいから取り、コケのように張りついている海藻や砂、薄い膜になった皮を包丁の先で引っ掻く。くびれの部分にも刃を当て、砂混じりのゴミを取り、内臓も丁寧に出す。島らっきょうも大変だが、この貝もそうとう手間がかかる。
「おいしいけれどね。大変なのよ」
「ほんと。でも歯のある人には最高よ」
どうやら固いらしいが、コリコリして味わい深いのだろう。

貝の作業をしながらテツコさんがいった。
「私もね、スノリで子供を育てたわよ。みーんなあれで学校にやって」
 モズクを売ると、いいお金になったのだろう。いまでも天然モズクはおいしく、大勢の人が内地の親や子、親戚や友人に送って喜ばれている。

「昔、モズク採ろうと浜に下りたら、血相変えて怒った人がいたよ」
ナリコさんがいうには、モズクの養殖をするといって網を張っていた人が浜を見張っていた。網の張っていない場所に入ったのに、ナリコさんは怒鳴られてしまった。
「あーんな欲張ってからに。結局、網にはちっともモズク張らなくてよ」
その人は養殖をあきらめたらしい。商売するなら別だが、みんなが食べて、知り合いにちょっと送るぐらいのモズクは今でも採れる。欲を張らなければ、豊かで平和な干立であった。

貝と包丁で慣れない作業に苦戦していると、誰かが私に軽くこういった。
「貝の処理、覚えるころにはもういないんでしょ」
「そんなことないですよ」
否定するが、声が小さい。
「先のことはわからないわよねー。いいご縁があるかもしれないし」
そうです、その通り! カヨコさんの助け船に救われたが、自分でもいつまでいるのかわからないのだ。

貝の作業が終わると、浜に出た。
「今日は風が強いから、水面が波立って見えにくいよ」
と三好さんがいった通り、モズクがよく見えない。しかもモズク自体もあまりないようだ。1本、2本と細々採っていると、ヒデコさんが通りがかった。また山に行ったのだろう。昨日はタケノコを背負っていたが、今日はクバの葉だ。

「あっちの方がきれいよ、いっぱいあるし。あっち行って採ったらいいよ、ミツおばあのいるあたり」
 今日、収穫が少ないのはさざ波のせいばかりでなく、場所も悪かったようだ。アドバイスに従い移動すると、あっちこっちに群生している。手を突っ込む。ぼわっとある。さっきとはボリュームが全然違い、感触が気持ちいい。そのままズリズリ引き抜くと、いっぱい採れた。ザルがどんどんうまっていく。モズクのポイントももっと研究しなくては。まだまだ学ぶことが多いなぁ。

(*1)ブンヌス: 稲が病虫害に犯されないようにとお供えされる山海の幸。サクナ(長命草・ボタンボウフウ)、バンス(野草の一種・ヤブカンゾウ)、ミチナ(野草の一種・ツナフサの仲間)、ピル(ニンニク)、チテパヤ(貝の一種・ウノアシ)、カテ(貝の一種・オオベッコウガサ)、フチマ(ヒザラ貝)、味噌、砂糖、塩を混ぜて作るとされるが、ヒデコおばさんは顆粒のダシの素も入れていた。

参考文献:『西表島の節祭[干立編]』(沖縄県 竹富町教育委員会刊)


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