今日はやまねこマラソン大会である。この日のために各公民館では、2カ月以上前からプランターに花を植え、各自が家庭に持ち帰り大事に育ててきた。1週間ほど前からは、黄色地に赤い字で「やまねこマラソン大会」と書かれたのぼりが沿道に立ち、選手でもない私まで気分が盛り上がっていた。
コースは子供向けの3kmと、大人向けの10km、23kmの3種類。中野の船浦小学校前からスタートし、3kmは中野集落のはずれ、10kmは浦内橋を越えたあたり、23kmは白浜で折り返す。毎年全国から大勢の人がかけつけ、今年の参加者は1030名。地元の参加も少なくないが、単純計算で島の人口が1日にして1.5倍にふくれあがることになる。西表島最大のイベントといえるだろう。
エイドステーションを受け持つ干立公民館では、朝、9時に集合。みんなで沿道の掃除を始めた。
「八重山で陸上競技は西表が強かったんだよ」
手を動かしながらマジャさんが教えてくれる。
「特に干立には記録保持者がいっぱいいたよ。僕を含めて3人も4人も。大会のときはソテツできれいにアーチを作って、見送ってもらったなぁ」
西表と陸上競技の歴史は意外と長いのだ。
「戦争のときはよ、14、15歳の少年兵はこの木の葉をゆでで乾かして、刻んだやつを別の葉っぱで巻いて、タバコにして吸ったんだよ」
今度はウホさんだ。ガードレールの外に青々茂る木を指している。
「あら、それじゃホントの葉巻ね」
のんびりした雰囲気のタナカさんが、ゆったりと相づちを打つ。掃除のときにふと飛び出す昔話は、なかなかおもしろい。
道路掃除が終わると、きれいに花を咲かせたプランターで飾り、テントの設営。そろいのTシャツ姿で11時半に再集合したあとは、飲み物の準備だ。水と氷を入れた大きなポリバケツにドリンク類を冷やす。黒糖や塩はお皿に出し、給水スポンジは氷水の入ったクーラーボックスに沈める。
「今日は天気がよくてよかったよ」
と作業をしながらナリコさん。よく晴れて気温もぐんぐん上がっている。この分ではかなり日焼けしそうだ。
「風がものすごく強くて、テントも飛ばされそうになって、エイドステーションどころじゃなかった年もあるから」
孫をあやしながら、カヨコさんもうなずいている。マラソンにはくもりがベストと聞いているが、サポートする側からすると、晴れて暖かいのはありがたい。
給水スポンジを渡す係になった私は、お盆にスポンジを載せて両手で持ってみた。
「なん人ぐらい同時に通るのかな?」
並んでスポンジ係になったヨシコちゃんに聞く。
「そのときによって違うのよね。パラパラっと通るときもあるし、わーっとなん十人も固まって来るときもあるし」
お盆に載せるスポンジの数は2〜3個でいいのか? 立てておくのと横に寝かせるのとどちらが取りやすいのだろう? はじめての経験なのでさっぱりわからない。
白バイや救護の車が通っていった。緊張感が増してゆく。
「来たぞ!」
12時半のスタートからしばらくたったころ、シオカワさんが声を上げた。それを合図に応援開始。銅鑼や太鼓を鳴らし、場を盛り上げる。ふと見ると、テントの外にちんまりと座り、50巻き入る大きな蚊取り線香缶を裏返し、五寸釘で叩くおばあがいる。“鉄の鍋ぶた+すりこぎ”というオリジナル“鳴り物”で音を出すおばあもいる。さすが、ジンブンの深さが違うなぁ。
このマラソン大会、なんといっても楽しいのはランナーウォッチングだ。遮光サングラスにランニングシャツ、ランニングパンツのマジランナーから、「やまねこさん」と勝手に名づけた仮装系の人まで。さまざまな選手がいておもしろい。
たとえばスポンジの取り方。お盆を差し出すと「これが欲しかったんだ!」というように、手を伸ばして寄ってくる人、「どーもどーも」というように手でちょっと会釈して取る人など、人柄がしのばれる。前進あるのみのマジランナーは、こちらをちらりとも見ないので、「この人は取らないな」と思っていると、走り抜けるとき後ろ手でひょいっとひっかけるようにつかみ取る。とても訓練された感じだ。
はじめて気づいたが、スポンジの捨て方にもいろいろあるようだ。テレビのマラソン中継を見ていると、用の済んだスポンジは道にポイポイ投げ捨てられている。ここでもみんなそうするのだろうと思っていたが、違う。使い終わったスポンジを道に捨てるのはマジランナー。エンジョイ派の市民ランナーたちは、次のエイドステーションまで持って走ったり、その場で使ってゴミ箱に捨てていこうとする。非常にマナーがいい。「お掃除する人に悪いな」とか、「捨てたスポンジが飛んでいって、海や山のゴミになったらいけないな」と思っているのだろう。ランナーたちの気遣いがちょっぴりうれしかった。
さて、先頭グループがいくつか通り過ぎたころ、衝撃的なランナーが現れた。すらりとしたその女性は、シャギーが入ったストレートのロングヘアに、目深にかぶったベージュの帽子。耳には白い輪のピアス。ポロの白い長袖Vネック綿ニットを着て、ジーンズ地のホットパンツをはいている。足もとはぺったんこサンダル。片手にマーニーで作ったらしき小さなカゴをさげている。どう見ても軽井沢を散歩するようなファッションだ。
私は彼女のエスプリに深く感銘し、敬意を持ってこう呼ぶことにした。名づけて「リゾートさん」。
「たかが駆けっこでしょ。楽しくやりましょうよ」
そんなメッセージを、マラソンを走るにしては遊びごころあふれる彼女のファッションから、私は読み取った。しかも彼女は、うれしいことにタイムも悪くない。むしろ速いぐらいだ。ただ長距離となると、あのサンダルがネックになることは確か。どうかリタイヤしないで戻ってきてほしい。
私のそんな願いは、届かなかったのだろうか? 復路、リゾートさんはいつまでたっても現れないのだった。
(続く)