7月19日(土) 「豊年祭」 晴れ

はじめての豊年祭がやって来た。部落の3大行事といえば11月の節祭り、4月の世願い、そして7月の豊年祭。新年度の4月からいままで、世願い以外の部落行事にはほとんど参加してきたが、豊年祭ほどお客さんが多いイベントははじめて。「どんなものだろう」と楽しみにしていた。

御嶽にテントが建ち、会場の準備ができた午後、お客さまがぽつぽつ見えだした。受付でご祝儀をいただくと、折と飲みのものを差し上げる。60〜70席の会場がほぼ埋まったころ、子供会がおみこしを担いで入場してきた。

10人ほどの干立子供会のメインはは、幼稚園にも上がらない幼児がほとんど。学校の先生の強力なリードで、数名の小学校低学年の子供がおみこしを担ぎ、幼児がそのまわりをウロウロしている。ワラで作った俵には、「豊年満作」と書かれた半紙が張られていて、カラフルな色紙で飾りがしてある。みんなの前に出た子供たちは、声をそろえて歌いはじめた。
「む〜らのちんじゅのか〜みさまのぉ、きょ〜おはめでたいむ〜らまつりぃ……」

 おお、そうか。あの歌は豊年祭のような祭りを歌った曲なのか! と妙にガテンがいく。よく晴れた午後、御嶽の木陰でハッピを来た子供たちが歌う姿は、夏祭りの雰囲気を盛り上げてくれる。

御嶽の建物の後ろ、客席のすぐ前は、香炉が置かれた石積みの拝所になっている。たくさんの白いとっくり、ご馳走が詰まったスズリブタ(重箱)、お椀などを捧げたり下げたりしながら、先ほどから4人の神司によりってお祈りが行われていた。

今日は晴れのお祭りなので、お客さまを迎える公民館員たちも、いつもよりずいぶんきちんとした服装だ。着物を着ているウホさん以外、男性は全員カリユシウエア。簡単にいうとアロハシャツなのだが、沖縄県産のものを特にそう呼ぶらしい。公民館役員のジーボさんなどは、今では高価な芭蕉布仕立てのものを着ている。軽くてとても涼しそうである。

一方、女性はムイチャーにミンサー織の帯を締め、クバの葉で作った扇や「豊年」と書かれた団扇を背中に挟んでいる。ムイチャーはベージュに黒い格子縞の丈や袖が短い着物で、元は野良着だったと思われるが、いまでは浴衣のように豊年祭で着られているものだった。

私は「接待」と呼ばれるお客さまの給仕係になったのだが、ムイチャーを持っていないため、手持ちの服でいちばん涼しげに見える白を基調にした服を着ていた。

歌や来賓のスピーチが終わると、いよいよ豊年祭のクライマックス。みんな立ち上がり、三線や銅鑼の音に合わせ、手拍子しながら『仲良田節』をゆっくりと歌う。ナリコさんやヨシコちゃん、ジーボさんたちは、グラスと3合瓶を持ってお祝いのお酒を振る舞っている。薄めた泡盛をグラスにつぎ、手拍子で歌う人々の口元に持っていき、一口か、希望者にはそれ以上、飲ませてあげるのだ。

最後は曲のスピードが上がり、全員手を叩きながら動きを早くする。中には指笛でひゅーひゅー音を出す人、駆け回る人もいる。なんだかこちらまで気持ちが高揚してくる。

そのとき突然、撮影していたビデオのレンズに水がかかった。
「なにコレ?」
 ヨシコちゃんがグラスについだお酒を空中に放り投げ、泡盛の雨を降らせているのだ。なんだ、びっくりした。

 曲が終わり、銅鑼が鳴りやみ、大きな拍手となった。御嶽での祝賀会の終了だ。

御嶽から出る神司について、みんなぞろぞろと御嶽を出る。三線を伴奏に歌いながら、司を先頭にして行列だ。こうして豊年祭の初日は、無事終了。
「なんか、あっけない」
と思ったが、いちばんいいところは、翌日に残されていたのだった……。


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