● 西表にいる理由
山―自分がなんで西表にいるのかというと、うまく説明できないんだけど、向こうには“人文(ジンブン)”っていう言葉があるのね。自然にある資源、山のもの・海のものとか、そうゆうものを使って、工夫して生きていく知恵で、自給自足につながるんだけど、そういうものを身につけたいんだな、と思って。だから修行かな。私が西表にいるのは、ある種、修行みたいなもの。
都会では暮らせるし海外でも暮らせる。自分を主張して相手を納得させることはできるつもりなのね。たとえば海外で飛行機のトラブルがあって、「予約していたホテルに泊まれなくなったから、代わりのホテルを用意しろ」とかなんとか、そんな交渉はできる。主張して相手に納得させる文化の国では、どこででも生きていける気がするんだよね。だけど、西表みたいな田舎って違うでしょ、カルチャーが。主張してこれが正しいっていったって「だからなに?」ってことだから。
穂―そうなんですか。
山―うん。田舎ってさ、まだやっぱり年上の人が偉いし、年下の者が下働きをするし、なんていうのかな、結局、全然通用しないわけ。こんな仕事してきました、っていってもね、「だからなに?」ってことなのよ。「じゃ、あんた山行ってなんか採って来られるの?」とかね。ジンブンがあるかないか、が判断基準みたいな。ここで暮らせるのか暮らせないのか。
田舎では実利というか、体を動かすこと、たとえばなにか採ってくることが“生きる”ことにつながっているけれど、都会の日常生活って、本読んでどれだけ知識がるあるかが評価される側面ってあるじゃない。物理的な“食う”ってことに直結しないことが多いでしょ。途中にお金が介在するっていうか。もっとなんか“生きてる実感”じゃないけれど、そういうナマっぽいものがほしかったんだよね。
でも西表みたいな田舎でも自分がやっていけたら、ある意味、世界中の田舎でやっていけると思う。生身のひとりの人間として、どこまで魅力的に……っていうと大げさだけど、どこまで「役に立つ奴だ」って思って歓迎してもらえるか。「あんまり役には立たないけど、こいつがいれば場が和むからいっかなぁ」ぐらいでもいいんだけどね。まあ、私はそういったキャラじゃないけど。
穂―なるほど。
山―留学してからあとだけど、外国にもう1回住んでみたいな、って気持ちはずっとあったの。それで旅行が好きだから、毎年どっか行ってて。それでまぁ結構いろんなとこ、40カ国以上見てきたんだけど、なんか、どこ行っても「いいところだなぁ」とは思うけど、住みたい、とまでは感じないのね。そこに住む必然性がない、っていうか。「ここに住むならあそこでもいいんじゃない?」って。40歳くらいまでにどっか海外に住みたいなぁ、と漠然と思ってたんだけ、でもココ!って所も見つかんないからこのままかなぁとか。
で、西表に住んでから、私が探していたのはここだったのかなぁ、となんとなく思った。日本語が通じる外国みたいなところ、って、みんないうしね。国境を越えた場所って意味の外国ではないけれど、異文化、って点では十分外国じゃない。異文化の中に身を置きたかったんだろうね、きっと。
でも、自分がなんのために異文化にこだわっているのかは、よくわからないんだけどね。自分の幅を広げるためなのかなぁ。どっちにしろ、いま、西表にいることは、すごく自分の人生の中で必要なことだなと思う。これをしたらなにになる、というのはわからないし、300万円使い切って明日からどうしよう、ってなる可能性も大だけど、いまはあそこにいる意味はある。でも、西表に帰るのが怖い気持ちもあるんだよ。7月に西表に行くときも、「あぁ、やだなぁ」って思ったし。不安なんだよねぇ、なにしろ異文化だから(笑)。で戻ってみると、けっこう楽しかったりするんだけど。